mittsuの日記

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百人一首5 また続き 

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瀬をはやみ岩にせかるゝたき川の われてもすゑにあはむとそおもふ
作者、崇徳院


保元の乱で平家、源氏組と戦った、上皇


保元の乱大河ドラマ義経でも、何度か話題が出る。
白河上皇が自分が立てた鳥羽天皇を退位させ、
崇徳を天皇に立て、崇徳天皇となった。
白河上皇がなくなると、鳥羽上皇が力を働かせ、
崇徳天皇を退位させてしまう。
その後の天皇が病弱で無くなっても、鳥羽上皇に締め出され、崇徳院の家系は天皇になることができない。
その後、自分の弟、後白河天皇が即位になるとその怒りは爆発し、保元の乱にいたってしまう、

が、たったの
一日で制圧され、讃岐に流され、その後三年を掛けて五部の大乗経
華厳経・大集経・大品般若経法華経・涅槃経)の写経をして
都に送らせたのだが、朝廷側はそれを送り返す。自分の反省の心を込めて写経をし、それを無残にも送り返された崇徳院
「われ魔界に堕ち、天魔となって人の世を呪わん。人の世の続く限り、人と人とを争わせ、その血みどろを、魔界より喜ばん」
と舌をかみその血で、送り返された「大乗経」に呪詛の誓いを書き、瀬戸内海に沈めた。(実際は京に行った。)


その後、早良親王菅原道真と並んで、日本の大きな怨霊となり、いたるところで鎮魂のための神社などが出来る。
大河の義経崇徳院が無くなった後すぐの時代となる。


崇徳院は昔の話ばかりでなく、最近では明治維新の少し前に天皇の勅使が御陵に赴き、
「京に新しく作った白峰神社に移って頂き、
そこで、京都の新たな守護神になって頂きたい。」との旨を伝え、白峰神社に崇徳院を奉った。
過去に大きな怨霊となって、鎌倉時代により天皇政治を断絶させたとされる
崇徳院を祭りその力で幕府軍を鎮めようとしたと思われる。
実際に崇徳院を鎮めることによって、明治時代が幕を開けた。


一般的には白峰神社は、境内の地主神社に蹴鞠の飛鳥井家が信仰した精大明神を奉ってあり、
サッカーはもちろんスポーツ関係全般の信仰を集めている。


大きな水の流れが岩によって裂かれても、その後合流するように、また再会したい。
一般的には恋の歌として読まれているが、今としては、都を不遇に離れた崇徳院の無念を暗示していたような内容になっている。