mittsuの日記

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京都市文化財登録について気になる記事

承明門跡地の出土品などを指定・登録 京都市文化財に6件
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008021600050&genre=M2&area=K10
 京都市は15日、市文化財保護審議会上田正昭会長)の答申を受け、平安宮内裏承明門(じょうめいもん)跡地鎮め遺構出土品(美術工芸品)、永運院(えいうんいん)文書、祇園祭山鉾の江戸時代の遺品など6件を市指定・登録文化財とし、2件を追加指定・登録することを決めた。京都市文化財は指定316件、登録140件となった。

 地鎮め遺構出土品(美術工芸品)は、平安時代天皇が住んだ内裏の表玄関「承明門跡」の調査(1984−85年)で見つかり、門跡の北側で一直線に並ぶ9世紀と11世紀の遺構4カ所から出土した。仏教法具の輪宝と☆(けつ)、ガラス玉、琥珀(こはく)、サンゴの破片などが良好な状態で埋められていた。

 天台密教の地鎮方法を記す鎌倉時代の文書に、1071年に内裏南方で行った地鎮の詳細が記され、出土状況や年代と一致したという。

 「平安宮内裏承明門跡出土品」以外の指定・登録文化財は次の通り。

 ◇…指定…◇

 【美術工芸品】永運院文書(京都市歴史資料館蔵)左京区金戒光明寺の子院・永運院本堂のふすま絵の下張りに使われていた古文書179点。豊臣秀吉徳川家康に仕えた武将宮城豊盛にあてた書状が多く、豊臣政権下での豊盛の事績や家臣団の交流を知る上で貴重という。

 【有形民俗文化財】蟷螂(とうろう)山御所車及び装飾品(中京、東山区)幕末以来巡行が滞っていたが、1981年に復興した祇園祭の山鉾。現在も使われている御所車のほか、最上級の金糸をあしらった豪華な旧胴掛や角飾金具、旧かまきりなど13点が指定される▽綾傘鉾装飾品(下京区)1979年に復興した山鉾。天保期に曳山(ひきやま)が作られた時期の胴組の掛け物のほか、手持ちの傘の囃子(はやし)行列だった古い時代に、締め太鼓の演じ手が付けた面や傘頂部の鶏が残り、遺品55点が指定される▽鷹山装飾品(中京区)応仁の乱以前から確認できる、祇園祭後祭に出された曳山だったが、1826年に休止した。箱書きに1770年の年が記載された「鷹遣い」「犬遣い」「樽負い」3体の人形のほか、元治の大火(1864年)で焼け残った鉦(かね)4丁など13点が指定される。

 ◇…追加指定…◇

 【有形民俗文化財】稲荷祭山車「天狗榊」の面(伏見区伏見稲荷大社の氏子域で行われ、江戸後期に途絶えた「お迎え提灯」で、下京区山川町の山車「天狗榊」の頂部に付けられた面。懸装品10点は2003年に指定されたが、昨年6月に新たに面が見つかったことから追加指定となった。

 ◇…登録…◇

 【建造物】久我神社本殿(伏見区延喜式神名帳に記され、平安時代にさかのぼる神社。現在の本殿は江戸後期の1784年に再建された。側面の彫刻に播磨の大工の関与が認められるという。建物の設計図など史料がよく残っている。

 ◇…追加登録…◇

 【建造物】秦家住宅(下京区)江戸時代から薬屋を営んだ京町家で、店舗部と玄関部は1983年に登録されたが、その後の調査で居住部や土蔵の履歴が分かった。居住部は明治初期の建立で、玄関との間に中廊下を配する。土蔵は江戸後期建立とみられる。
 ☆は木偏に「厥」

色々すごいものばかり、いずれ重文に格上げされるかも、