mittsuの日記

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14、15日の行動7

京女のど真ん中の通りをコソコソ抜けて、馬町からの道を通り抜けると、
マンションの脇に三嶋神社があった。新日吉神宮、今熊野神社、と、共に
後白河天皇が勧請したもので由緒ある神社、つつじの時期が遅れてくれたおかげで、
最高の時期に来れた。安産の神様。


参道?
三島神社 参道?
三島神社 参道? posted from フォト蔵



つつじ満開で、今日を逃したらもうありえないぐらいの咲き具合だったと思う。
三島神社 満開のつつじ
三島神社 満開のつつじ posted from フォト蔵



本殿?
三島神社 一間流れ作りの本殿
三島神社 一間流れ作りの本殿 posted from フォト蔵



モダンな書体の扁額
三島神社 モダンな書体
三島神社 モダンな書体 posted from フォト蔵



いわれなど。れっきとした京都市の駒札が掛かる、それだけに由緒があると分かる、
この駒札はどうもこう狭くなる前からの物ではないか、とも思われる。
秋篠宮様も2度いらしているところからも、皇室との関係も深いと思われます。
しかし、今はこちらも御寺「泉湧寺」内の瀧尾神社境内に遷されているようで、
こちらは跡といった感じなのか、詳しくは分からない。最後に残った由緒書きを
頂いてあるので、後でよく読んでここに追加記載したい。
三島神社 駒札
三島神社 駒札 posted from フォト蔵



場所はこちら



とんでもトラベル」様に詳しくありました。
法住寺・新日吉神宮、豊国廟界隈その11」
http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/kyoto/temple/houjyou-ji-temple-11.htm
くわしく書かれています。


今改めて、駒札を見ると、瓊々杵尊(ににぎのみこと)と
木之花咲耶姫神(このはなさくやひめのみこと)は夫婦で、
大山祇神(おおやまつみのみこと)は咲耶姫の父であるのはすぐ分かるが、
たしか神話では、大山祇神は木之花咲耶姫神と姉妹の岩長姫神(いわながひめのみこと)も一緒に嫁に
ということだったが、瓊々杵尊は容姿の劣る岩長姫神を送り返した、それに怒った大山祇神は、
体の丈夫な岩長姫神は子孫安泰を願って送り出したのに送り返すとは、罰が当たる、
ということで、木之花咲耶姫神との子供は寿命がものすごく短くなったという話を聞いたことがある、
三嶋神社では、どういう意味合いで祭ってあるのかも調べてみたい。


(追)いただいてきた三嶋神社由緒略記を見ると、馬町の方は「本宮鎮座地」で滝尾神社の方は「祈願所鎮座地」という
関係だった。略譜を抜粋すると、、
1994/ 2/11 秋篠宮殿下紀子妃殿下参詣
2000/10/13 悪禍事ニテ社殿及ビ境内失ヒ本町鎮座ノ瀧尾神社ニ遷座之事
2002/ 9/15 旧社地上馬町ヘ再ビ御社殿造営ニ付還幸遷座之事
2003/ 5/26 三嶋明神御社殿造営旧社地還幸ニ付、秋篠宮殿下本宮御親拝
とあり、紀子様佳子様御懐妊の1994年に来られたようで、
なんと2000年から2002年までは、ここに社殿がまったく無い期間があった、
その時に瀧尾神社に祈願所を作ったとあるので、当時は祈願所はその場しのぎ的な
意味合いであったのかもしれない。そして、2003年にはこの社殿が完成したということで、
再度、秋篠宮様が来られたとのこと、
今回の紀子様御懐妊でもしかしたら、注目を浴びることになるかもしれない。