mittsuの日記

ダイアリーからブログへ移行しました。

下記から移動しました。

http://d.hatena.ne.jp/mittsu/


百人一首1 ちょっと調べてみた話


百人一首とその付近の出来事


小倉山 峰のもみじ葉 心あらば 今ひとたびの 御幸またなむ


百人一首にも出る有名な和歌、作者は貞信公とあるが、それは
藤原忠平で、のちに関白になり後の藤原家の隆盛の立役者の一人でもある。


907年嵐山に宇多天皇が御幸に行かれたとき、あまりの素晴らしさに、
「息子の醍醐天皇にも見せたい。」と言った内容を聞いて、忠平が読んだ句。


その少し前899〜901年
忠平の兄、藤原時平左大臣であり、右大臣は菅原道真醍醐天皇は摂関を設けず政治を行い、
899年に時平が左大臣に901年に道真が右大臣になった。道真が左大臣になったばかりの
時に時平が醍醐天皇に讒言をし、道真が大宰府に左遷される。
(讒言の内容は、醍醐天皇を退位させ斉世親王を即位させようとしている、との内容)


903年に大宰府で道真が亡くなると、京ではまず、910年に藤原時平が39歳で亡くなり、
醍醐天皇の皇子や孫まで次々と亡くなり、930年には内裏に落雷があり2人が死亡してしまう。
その3ヵ月後に醍醐天皇までも心労が重なり亡くなってしまう。
醍醐天皇に道真を重用するように訓戒した宇多天皇も翌年亡くなってしまう。


その時忠平は、中立の立場を取り、返って道真を奉るように行動した。それによって
忠平一家には災い及ばず、関白まで登り詰め、摂関政治の藤原時代を築く。


道真が亡くなって、怨霊による災いが始まる僅かな間に読まれた歌のようだ。
常寂光寺に歌碑、昭和6年建立