mittsuの日記

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堀河院庭園池跡みつかる中京、平安時代の里内裏

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007100400149&genre=M2&area=K1C

 平安時代に、天皇が貴族の邸宅に臨時の御所を営んだ里内裏(さとだいり)の一つ、京都市中京区の堀河院跡の発掘調査で、白河・堀河両天皇の時代の庭園の池跡が見つかり、4日、京都市埋蔵文化財研究所が発表した。当時の高級貴族の宅地と同じ1町(120メートル四方)ほぼ全域が庭園だったとみられ、広大な中に変化に富んだ意匠が施されていた。
 市立音楽高校移設に伴い、旧城巽中跡地約2600平方メートルを調査している。
池跡は2つあり、出土土器からいずれも11世紀半ばから12世紀初めとみられる。
 一つは三日月形で南北26メートル、東西15メートル、深さは約1メートルで、通常の平安期の池と比べ深い。南岸には丁寧に粘土が張られ、半島状の出島とみられる地形もあった。もう一つの池は直線状で東西に長く、古い池を造り替えた形跡があった。
 周辺では、白砂を敷いた場所や直径1メートルの庭石のほか、釣殿があった可能性を示す石敷きも見つかった。
 堀河院は、平安時代の代表的邸宅の一つ。南北2町あり、9世紀後半以来、代々藤原氏が継承。10世紀後半の円融天皇から里内裏として使用された。院政を始めた白河天皇はここで位を譲り、次の堀河天皇も好んで住んだ。
 鈴木久男・京都産業大教授(考古学)は「山や森、複雑な池のみぎわなど、さまざまな風景も盛り込んだ庭だったのではないか」と話している。
 現地説明会は6日午前10時から。問い合わせは現場事務所Tel:075(212)7383へ。

土御門東洞院里内裏が1331年ということで、相当古く、白河天皇期というのが興味深い、