mittsuの日記

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重源の遺徳しのび没後800年法要 30日から

http://www.sankei.co.jp/local/nara/060916/nar000.htm

 東大寺は15日、鎌倉時代に同寺の再建に尽くした“中興の祖”重源(ちょうげん)上人(1121〜1206年)の没後800年法要について発表した。関連行事を含め、30日〜10月21日に開催。ゆかりの寺院から僧侶らが参列しての法要が営まれるほか、大仏周辺を巡る盧舎那仏(るしゃなぶつ)燃灯供養なども行い、復興に努めた上人の遺徳をしのぶ。

 重源は13歳で京都の醍醐寺に入った後、各地の霊山で修行。宋(中国)にも渡ったという。60歳を超えて東大寺大勧進職となり、治承4(1180)年の平重衡(しげひら)による南都焼き討ちで大仏殿が焼け、大仏も大破していた同寺の復興に尽力。周防や播磨、伊賀などには別所(べっしょ)と呼ばれる復興の拠点を設けたという。

 今回の「八百年御遠忌法要」の正式期間は10月14〜16日。初日は京都・建仁寺高野山金剛峯寺の法要、中日は東大寺舞楽法要と鎌倉・鶴岡八幡宮の顕彰祭、結願は醍醐寺東大寺の法要が営まれる。

 また、13日には東大寺南大門にかける「大華厳寺」と記した額の除幕式が行われるほか、夜には聖武天皇の没後1250年法要の際に復活させた盧舎那仏燃灯供養を営み、参拝者が大仏殿内を回って重源の遺徳を顕彰する。大仏殿東側の俊乗堂に安置されている重源上人坐像(ざぞう)(国宝)も13日〜21日に公開される。

 東大寺の北河原公敬執事長は「重源上人は人脈が広く、企画力にもたけていた。功績と苦労に改めて感謝するとともに、広く知ってもらう機会にしたい」と話した。

京都、奈良合同の法要、禅宗華厳宗真言宗、と幅が広い、大原談義時も出席していたそうで、天台、浄土宗にも少しは影響を与えたのかもしれない。