文楽語り68年、住大夫さん大阪公演の千秋楽
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20140427-OYO1T50028.html
人形浄瑠璃文楽太夫(義太夫語り)の人間国宝、竹本住大夫すみたゆうさん(89)の大阪での引退公演が27日、国立文楽劇場(大阪市中央区)で千秋楽を迎えた。
「菅原伝授手習鑑すがわらでんじゅてならいかがみ 桜丸切腹の段」を語り終えた住大夫さんは、あいさつで、「私、ええ星の下に生まれましたわ」と68年の太夫人生を振り返った。同じく人間国宝の吉田簑助さん(80)が遣う人形の手を握り、感極まった様子で「ありがとう、おおきに、おおきに」と繰り返した。
稽古の鬼、涙の花道…「文楽お引き立てを」
「稽古の鬼」と言われた当代一の文楽太夫が涙を浮かべていた。27日、国立文楽劇場で地元・大阪の引退公演を終えた竹本住大夫すみたゆうさん(89)は、あいさつの中で「感謝」の言葉を7度、繰り返し、深々と頭を下げた。
主要な登場人物の一人、桜丸が、菅丞相かんしょうじょう(菅原道真)への忠義から切腹する場面を、約40分間にわたって語りきった住大夫さんは、ほどなく、大きな拍手に迎えられて舞台に再登場。68年の太夫人生を振り返り、「不器用な、鈍な私に、先輩方が厳しく、親切なご指導をしていただきました。感謝と敬いに尽きます」と、かみしめるように語った。
そして、「私が去りました後も、大阪で生まれ育った文楽を、末永くお引き立て、お願い申し上げます」と呼びかけた。
10年来の文楽ファンで、引退公演も2回目の観劇という奈良市の無職菅原邦雄さん(65)は「前に見たときよりも意気込みが伝わり、声も太かった。大阪での最後だと思うと、涙が止まらなかった」と話していた。
住大夫さんは大阪市生まれ。1946年に初舞台を踏み、89年に人間国宝に認定された。一昨年、脳梗塞を患ったが、リハビリを経て半年後に復帰した。残る舞台は、東京・国立劇場での引退公演(5月10日〜26日)のみとなった。
国立文楽劇場によると、今回の4月文楽公演の有料入場者数は2万9973人(速報値)で、昼夜2部公演としては84年の開場以来最多を記録した。
「いい仕事、最後まで」…芸能人ら惜しむ
引退公演を鑑賞した関西の文化、芸能人らは、至芸の見納めを惜しみ、長年の労をねぎらった。
能楽師の大槻文蔵さんは「つくづく『風格』という言葉が住大夫さんのためにあると感じました。いい仕事を最後までされて良かったなあと、同じ舞台人として一種の安堵あんど感すら抱きました。惜しいなとは思いますが、潔い引退はご本人の美学」と気遣った。
自らも義太夫節を習っているという落語家の桂南光さんは「脳梗塞から復帰された舞台では涙が出ましたが、今回も見事でした。掛け合いの間合いと言い、素晴らしかった。ここまで文楽を引っ張っていただいて、ありがとうございましたと言いたい」と感謝する。
作家の有栖川有栖さんは「太夫は、舞台を支配する膨大なエネルギーが必要です。それを89歳までやれたのが驚異的なこと。お疲れと思いますが、ここで一服なさって、培われた芸を後進に伝えていただけたら、文楽好きとしては二重の幸せ」と話していた。
たっての希望で、最後に地元大阪の方に住大夫師匠がご挨拶をされたい、とのことだった、
感謝、敬い、そして喜びと言われていたと思う。
蓑助師の桜丸が花束贈呈の後、振り返って手を振っていた。
幾分ユーモラスに映り、文楽らしく湿っぽくならず、感動的であり、感極まるなかにも、
明るさのあった、ご挨拶になった。
5月で現役大夫の道は終わられるとしても、後進の指導はもちろん、文楽の顔であることは疑いない
わけでメディア等でも無理のない範囲でまだまだ活躍して頂きたい。
芸とはなにか、文楽でいうところの「情」を伝えるというのはどういうことなのか、
を体現されていた。
他の分野でも、住大夫師のような本当のプロフェッショナルは居られるだろうか、、