9月文楽公演1部
とにかく、住大夫さんの沼津、千本松原だけではあるが、
それが懸かるとなれば特別会計になる。
今回で2度目で先回は前半が、源大夫師、後半が住大夫師
今回は3つに分けて、
沼津里の段 津駒大夫
平作内の段 呂勢大夫
千本松原の段 住大夫師
となった。
残念ながら前半の感想は特に無い。
千本松原の段で住大夫師に代わるが、
ずっと開幕から聞いているとこんなものかとなるが、
ここで聞き始めるとやはり本当に残念ながら他とはクラス、
というかステージが違う。
何年か前、復帰以前、と比べると、そこに違いはあるものの
圧倒的な差があり、高い芸術性というか、感動がある。
高い旅費を払ってきても、それに勝るおおきな満足がある。
とにかく素晴らしいの一言に尽きる。
朝日新聞の記事を引用したい
国立劇場「文楽九月公演」 http://www.asahi.com/culture/articles/TKY201309210183.html
■評:ずしりと重い業と情【西本ゆか】東京で15年ぶりの「伊賀越道中双六」通しは、仇討(あだうち)を担う政右衛門を遣う玉女の昼夜ぶれない存在感が縦糸、当代三業の底力が横糸。織りなす布に派手さはないが、業(ごう)と情とでずしりと重い。
昼は「沼津」千本松原の段を住大夫が語る。壮絶な闘病を経て取り戻した言葉で一語一語、いとおしむようにつづる浄瑠璃には、枯淡ともまた違う、生まれたてのように無垢(むく)な透明感が満ちる。届くのは聴く者の耳ではない、心の深い奥底だ。
なかなか上手な言葉で、確かに枯れた芸というところを過ぎた境地と思う。
和田行家屋敷の段
円覚寺の段
は、沼津や後半に繋がる説明があり、大事な場面で見れて良かった。
という感想しかない。
唐木政右衛門屋敷の段
切となって咲大夫師、どうも口跡が苦手ではあるが、
どんどん声に深みが出てきていると思われる。
ここの場面が後半の岡崎の段の理解に繋がるので大事な場面
であった。という感想だった。
とにかく上手に聞かせたいということはもっとも、
しかしだれもかれもファルセット的にコントラストを付けて語る
だけで、誰を聞いても変わりが無い。
その安易な方法は音量の大小を扱うだけでしかなく、
語りわけのというところまでも届かなく、
ましてや語りのコントラストにはまったく繋がっていない。
・・・と住大夫師の語りを聞くとそう思わざるを得ない。
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そして泊りになるということで、折角だから晴海ふ頭に写真を撮りに行ってみた。
国立劇場の三宅坂からバス一本で接続可能ということで、40分ほどの移動で、ちょうど夕方ころになる。
東京は地下鉄がすごいのでそちらで移動しがちだが、やはりある程度慣れてきたら地上のバス移動を
おすすめしたい。東京の今の景色を感じながらの移動はただ体を運ぶ地下鉄とは違う良さがある。
東京タワー方面
P1020073 posted by (C)お寺しゃしん
F3.5での手持ちの限界を感じる。
お台場方面
P1020067 posted by (C)お寺しゃしん
その後お隣の月島からは清州通りでバス一本でスカイツリーに行けるのでそちらにも行ってみる。
十間橋までも一本なので行そこまで行って降りてみる。
さすがに有名スポットであるだけに素晴らしい。
そしてなんとも華々しいスカイツリーと地元の方の何ともない日常とのコントラストが、
なんとも違和感がすごい。
地元の方から見ると京都の金閣と一緒でよそ様の非日常地域になってしまっているのかもしれない。
足元から、
P1020104 posted by (C)お寺しゃしん
なんとも、下町との違和感、明るすぎる空間、地元とは残念ながらあまりなじんでいないように感じる。
東京タワーのように、住宅街でないところに建てられたらよかったように感じるが、
今の東京タワーも、増上寺の五重塔のような景色は違和感があったのかもしれない。
浅草で泊り、次の日はこの付近を回る。