mittsuの日記

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東京1日目

文楽公演1部、2部通しで拝見、豊松清十郎襲名披露公演
P1030053
P1030053 posted by (C)お寺しゃしん

公演としては、

<第一部>11時開演

近頃河原の達引   
四条河原の段
堀川猿廻しの段

吉田清之助改め
五世豊松清十郎襲名披露
口上   

襲名披露狂言
本朝廿四孝 
十種香の段
奥庭狐火の段 <第二部>16時開演

奥州安達原
朱雀堤の段
環の宮明御殿の段
道行千里の岩田帯
一つ家の段
谷底の段

1部、堀川猿廻しの段のは「切」場で、前を住大夫さん、後ろを綱大夫さんのリレーで、綱大夫さんは先日の芸能花舞台とまったく同じところ、


実家に帰ってきていた祇園芸者のおしゅんのもとに、人を殺してしまった伝兵衛がやってくる、
兄の猿廻しの与次郎は寝ぼけておしゅんを表に出し戸を押さえる
、そしておしゅんに外には出てはいけないと勘違いなことを言っている、
そこの盲目の母がやって来て、娘と勘違いをし伝兵衛の背中を撫でる、
その感触が娘と違うことに気づき、驚く。
そしておしゅんに書かせていた退き状を見せるが、それは伝兵衛に連れ添って自分も自害するという文だった。
母も与次郎もそのことを飲み込み、与次郎が猿廻しの時にかぶっていく笠をふたりに与え逃げるように伝える、
ならばここでふたりの祝言にと与次郎が、めでたい猿廻しを行う
2匹の猿がお初、徳兵衛となり、その徳兵衛役の猿が祝言の盃を持ってお初役の猿に渡すがまったく受け取ってもらえない、
最後には徳兵衛役は頭にきて、足で渡す、それを与次郎がつっこみで注意をする、
全体に笑いを誘うチャリ場になるが、表向きはふたりで逃げてくれと言うものの、
死出にでると分かっているだけに、その明るさが返って悲しい雰囲気を出しながら、
堀川猿廻しの段が終わる。



そして襲名口上、ご本人の清十郎さんはまったくしゃべらずただ先輩の言葉を頭を下げて聴くのみ、
住大夫さんは歌舞伎同様の奉ります〜的な語りに対し、寛治さんは現代語で流暢でスマートに話されていたのが印象深い。


本朝廿四孝になり、清十郎さんが八重垣姫、抑えた表現の中に、蓑助さん門下らしい所も見えるが、清十郎さん独特とも言える可憐な表現が十分に出ていた
と個人的には思う。狐との早代わりがあり、2部との間には、紋付を着られロビーに、と大忙しの様子だった。




2部、半通し 奥州安達原
今回は袖萩祭文よりも、全体を通しての時代物的印象が強く残っていて、それは一つ家の段での胎児の生血を絞り出すというインパクトがあり、
それは奥州独立のためという壮大な計画のためという大きい時代物のテーマが突出していたためだと思われる。

(つづく)