右京区 妙光寺 復興について気になる記事
江戸の”サロン“寺 復興へ 「風神雷神図」の古里、妙光寺
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008050100116&genre=J1&area=K00
臨済宗建仁寺派(本山建仁寺、京都市東山区)で、右京区宇多野の末寺・妙光寺を復興する動きが進められている。建仁寺所蔵の国宝「風神雷神図」(俵屋宗達筆)が本来あった寺で、室町時代には「京都十刹(さつ)」に数えられた名高い寺だが、明治以降衰退していた。8日に特別展と特別拝観を行うが、関係者は「文化人のサロンだった雰囲気をよみがえらせたい」と意気込む。1285年に同宗法燈派の祖、無本覚心が開いた。応仁の乱で衰退したが、江戸初期に京の豪商・打它(うだ)良亭が再興。「風神雷神図」は良亭との縁で宗達が描き、江戸後期に建仁寺に移った当時の住職が持参したという。
本堂や山門、内部を金箔(きんぱく)の文様で飾った開山堂(印金堂)があったが、現在残るのは方丈と庫裏のみ。山門は、建仁寺開山堂の楼門に移築されている。
江戸の文人との縁が深く、境内には京焼を大成した陶工、野々村仁清のものとされる墓がある。
中期の陶工、尾形乾山の窯も近く、乾山の兄で陶器の絵付けを行った画家光琳が、宗達の作を模写した風神雷神図(重文、東京国立博物館蔵)を残しており、同寺を訪れていた可能性があるという。
整備は2004年から徐々に始めている。修行僧らが定期的に雑木を伐採、約200本のモミジを植林した。将来的には開山堂の再建や一般公開を目指す。建仁寺派の浅野全雄庶務部長は「宗派にとっても大事な寺だが、陶芸家など文化人にも心のよりどころとなる寺にしたい」と話している。
8−14日、建仁寺で妙光寺特別展、妙光寺では特別拝観を行う。いずれも有料。
▽妙光寺 亀山、後醍醐、後村上三朝の勅願寺で南朝との縁が深い。吉野に逃れた後醍醐天皇が一時宿泊したとされ、「神器の間」が残る。俳人与謝蕪村が訪れ「春月や印金堂の木の間より」の句を残している。
今回初耳の名前、少し調べて見たい。