文楽の仮名手本忠臣蔵について気になる記事
【文楽を歩く】仮名手本忠臣蔵 家族・恋人たちの悲劇交錯
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080111-00000128-san-soci
その寺は、急な石段を三十数段登った先にあった。石段に影を落とす木々の枝、寺の裏には竹林が広がり、しみじみとした詩情が漂う。京都市山科区の西の端にある岩屋寺。大石内蔵助が隠棲したのはまさにこのあたりという。
〈『これ小浪。アレあれを聞きや、表に虚無僧の尺八、鶴の巣籠(すごもり)。鳥類でさえ子を思うに、科(とが)もない子を手にかけるは因果と因果の寄り合い』と…〉
『仮名手本忠臣蔵・山科閑居の段』は、ここ山科の大星由良助(=大石内蔵助)邸を、由良助にとって憎い相手、加古川本蔵の後妻・戸無瀬と娘・小浪が訪れるところから始まる。そしてもうひとり、虚無僧に姿を変えてやってきたのは、ほかならぬ本蔵。
このとき本蔵の吹く尺八の曲が「鶴の巣籠」。その音色にハッとする戸無瀬。鳥の親子の情愛につい自分たち母子の姿を悲しく重ね合わせたのである。
『忠臣蔵』は男たちの命をかけた忠義の陰で、さまざまな家族、恋人たちの悲劇が交錯する。岩屋寺の静かな境内に佇(たたず)んでいると、300年前の人間たちの思いがまだそこにとどまっているような気がした。
■忠義より娘のために捨てる命
〈『加古川本蔵が首、進上申す。お受け取りなされよ』〉
こう言いながら笠を脱ぎ捨てた人物は虚無僧に化けた加古川本蔵。高師直(こうの・もろのお)に賄賂(わいろ)を贈ったばかりか、塩谷(えんや)判官が殿中で師直に斬りつけたとき、判官を抱き止めて邪魔をした人物である。
その本蔵がなぜ、由良助が閑居する山科にまでやってきたのか。
『仮名手本忠臣蔵』の九段目「山科閑居の段」は、前半の本蔵の妻戸無瀬(となせ)と由良助の妻お石(いし)の確執から一転、後半は本蔵と由良助の男たちの骨太のドラマとなる。
実は、由良助の息子・力弥と本蔵の娘・小浪は許婚の仲。しかしお石は、はるばる山科まで祝言のためにやってきた戸無瀬と小浪に、“追従武士の本蔵と二君に仕えぬ由良助では心の釣り合いが取れぬ”といったん冷たく断る。しかし死ぬ覚悟を決めた母子にお石は、「祝言は認める、その代わり本蔵の首を祝言の引き出物に」と条件を出すのである。
そこへ虚無僧に化けてやってきた本蔵は力弥にわざと自らの腹を槍で突かせる−。
〈『忠義にならでは捨てぬ命、子ゆえに捨つる親心、これこれ推量あれ、由良殿』〉
自分の行動が判官を切腹させ、娘の幸せも奪ったと後悔していた本蔵は、かわいい娘のため自分の命を捨て、由良助に師直の屋敷の案内図を渡すのである。
「本蔵はあれからずっと、罪の意識にさいなまれていたのでしょうねえ」と文楽人形遣いの吉田玉女さん。「山科へは最初からすべての覚悟を決めてやってきたのでしょう。本蔵の気持ちを想像するとつらくなりますね。でも彼の決意が由良助らの仇討ちを助けるわけですから本望だったのかもしれません」
岩屋寺の境内に鄙(ひな)びた風情の茶室があった。聞けば、実在の大石内蔵助の屋敷の廃材で作られたものだとか。
討ち入りの日はいよいよ近い。
岩屋寺行きを今年の目標の一つにあげて、是非伺ってみたい。ただフィクションはフィクションとして、わきまえておきたい。