mittsuの日記

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⑩2点×5問=10点

後水尾上皇とその時代の文化について、150字以上200字以内の文章で書きなさい。
(譲位の契機となった事件、上皇中宮で社寺や伝統文化の復興に尽力した人物、その時代に活躍した文化人のうち、「風塵雷神図」(国宝)を描いた画家、立花会の指導的役割を果たした華道家上皇が造営した山荘は必ず含むこと
【解答例】寛永6年(1629)、紫衣事件を契機に譲位した後水尾上皇は、徳川秀忠の娘で中宮となった東福門院とともに社寺や伝統文化の復興に尽力した。この時代には、琳派の祖として知られ、「風神雷神図」を描いた俵屋宗達や、盛んに開催された立花会において指導的な役割をはたした二代目池坊専好など、当時を代表する文化人が活躍し、洗練された文化が花開いた。隠棲の地として造営した修学院離宮は、上皇が自ら設計したと言われている。
立花なら池坊専慶、立華なら専好と覚えていたと思う、テキストに「はな」の字が区別して書かれていたので、そう覚えていたので、こここはどうしても納得できなかったが、どちらも同じ意味で使われていたとのご指摘を受けて考えてみると、結局字で覚えていただけで、中身を覚えていなかったということ、と思う。