mittsuの日記

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平安宮「昌福堂」跡を確認 上京、大臣執務 朝堂院の配置復元

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007062500137&genre=M2&area=K1B

 平安時代の国政の中心だった朝堂院の建物「昌福堂」の北端とみられる基壇化粧の切石列が京都市上京区の発掘調査で見つかり、京都市埋蔵文化財研究所が25日、発表した。市埋文研は「これで朝堂院の建物配置がほぼ完全に復元できた」としている。

 民家新築に伴い、6月上旬から約80平方メートルを調査した。

 朝堂院は北側の大極殿から、南北に細長い回廊が巡り、内側には「十二堂」と呼ばれる建物が左右対称の位置に置かれた。昌福堂は十二堂の北東にあり、第一堂とされ、太政大臣左大臣・右大臣が執務したという。

 見つかった石列は基壇最下部の延石(のべいし)で、東西方向に3メートルあり、長さ1メートル、幅35センチ、厚さ15−18センチの凝灰岩の切石が連なっていた。現在は失われているが、延石の上に高さ約1メートルの基壇が造られ、建物はその上にあったとみられる。

 鎌倉時代の「陽明文庫本宮城図」やこれまでの発掘調査で、各建物の東西規模や配置はおおむね分かっていたが、十二堂の北端のラインが確定できていなかった。
 今回の調査で、昌福堂の南北規模が約33メートル、東西約18メートルだったことが分かったほか、大極殿との間で天皇と臣下の場所を段差で区別した東西方向の竜尾壇(りゅうびだん)の位置を、22メートル北に推定できたという。

掘るスペースがあったというのがすごい、石がしっかり見えていてすごい、石碑を建ててほしい
財団法人京都市埋蔵文化財研究所
http://www.kyoto-arc.or.jp/