mittsuの日記

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13日の行動 1

今回は銀閣金閣ツアーということで足利メインで色々回ってみる。
12日の夜着いて朝、三条京阪から銀閣寺へ、
日曜日ということで、ある程度、混雑は考えていたのですが、修学旅行生ですし詰め状態に…
8:30到着早速、寄せていただくも、もう満員状態、修学旅行生の山だった…
久しぶりに銀閣を見てみる、いろいろな写真で見るものの実物、
東求堂も一見、普通の建物、そしてぐるっと一周して戻ってくる、
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銀閣、本堂上部から posted by (C)mittsu

そして本堂の廊下に座って色々眺めてみる、そしてここに義政が歩いていたり、
能阿弥や相阿弥も、同朋集たちが歩いたり、と考えたりすると今はすごいところにいる、とようやく実感できる
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本堂から銀閣 posted by (C)mittsu

目の前は入れ替わり、立ち替わりに修学旅行生が通って、タクシーの運転手さんが色々東求堂の前で説明される。
「とうきゅうどう」だったり、銀閣には銀を張ろうとしていたがその前に死んでしまったなど、
バラエティー豊かな説明だった。
そのなかで、東求堂の外壁に腰掛があり、義政はそこに座って観音殿をできるのを見ていたのだろう、
と言う説明があり、腰掛があるということはまったく知らなかったこともあり興味深く聞かせていただく。


そこで座ったまま振り返ると確かに待合というか腰掛がある、
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東求堂待合 posted by (C)mittsu

夜、月をそこで見ながら建築予定の東求堂を見ていたのかも、などと想像したり、
月があがると思われる東山を見てみたり、
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月があがってくるだろうと思われる方向 posted by (C)mittsu


色々思いを巡らすも、時間的制約で、50分ほどで失礼させていただく。

銀閣も、銀が張ってあると疑いをかけられたところを色々見てみるも、
彩色はなにかあったのかも、という印象を受ける程度、だった。
そもそも完成時には義政は生きていないわけで、義政の考えか、
能阿弥やその他の考えだったのかは、自分には分からなかった。

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銀が張ってあったかもといわれた箇所 posted by (C)mittsu

たしかに京の三閣といわれるだけあってすばらしい佇まい、庭も素晴らしかった。
枯山水の石組みが山の斜面の上の方に僅かに面影が残る程度だったのが残念、
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お庭と銀閣 posted by (C)mittsu