mittsuの日記

ダイアリーからブログへ移行しました。

下記から移動しました。

http://d.hatena.ne.jp/mittsu/


巨椋池「ハス博士」内田さんしのぶ 追悼文集を刊行 京都花蓮研

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2006092400056&genre=K1&area=K20

 京都府南部の巨椋池干拓地のハスを研究して「ハス博士」と呼ばれ、昨年9月に亡くなった内田又夫さん=享年(83)=の追悼文集「蓮(はす)を求めて」をこのほど、内田さんが会長だった京都花蓮研究会が1周忌に合わせて刊行した。ハスに生涯をささげた故人の生前を17人がつづり、しのんでいる。

 内田さんは、干拓で生息地を失った巨椋池のハスの保護を、久御山町で1970年ごろから本格的に始めた。昨年7月まで「蓮見の集い」を毎年開き、大阪で開かれた「国際花と緑の博覧会」(1990年)にハスを提供するなど、巨椋池のハスの知名度を高めた。

 文集では、研究会の白嵜顕成・現会長が内田さんとハスを求めて中国を旅した思い出を記した。副会長の小森晃さんは、亡くなる1週間前に「なんとか頼んますわ」と来年の植え替えを筆談で病床から頼まれたエピソードを紹介している。

 内田さんからハス園の世話を引き継いだ府立植物園職員の金子明雄さんは、入院中もハスのことをいつも気にしていた内田さんの様子を文集につづり、「巨椋池系品種80種を保存する蓮池ができれば」との思いで結んだ。
 文集はB5判、81ページ。400部製作し、久御山町立図書館などにも寄贈した。残部を実費500円で希望者に配布する。問い合わせは京都花蓮研究会事務局・嘉住さんTEL0774(52)3680。

第二次世界大戦時の食糧難時に、農地確保のために、干拓した。間違っても埋立地ではない、その前は、蓮見の船が出るほどの蓮の名所だった。
蓮が多いということは、浅瀬ということで、良く氾濫していた。今では京野菜の産地としても有名で、千枚付けの聖護院かぶ聖護院だいこんは巨椋産ブランドと
言ってもいい出来、最近は宅地が迫って来てしまっている。基本的に湿地のようで、野鳥も多く、昔の名残を今も残している。