mittsuの日記

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百人一首3 続なんとなく

雨宝院

百人一首、三つ目


つくばねの峰よりおつるみなの川こひぞつもりて淵となりける
陽成院、第五十七代陽成天皇、父は清和天皇、母は二条の后、
藤原高子


筑波山の頂から流れ落ちる、みなの川、その名のごとく、蜷(みな)が
棲むような泥水が積もって、
深い淵となったのだ。そのように私の恋心も積もり積もって、
淵のように深く淀む思いになってしまった。
*蜷(みな)泥の中に住むタニシのようなもの。


867年、父、清和天皇。九歳で即位、880年に清和上皇崩御されると、太政大臣藤原基経と母、高子の
確執が生まれ、884年に退位に追い込まれる。その後、光孝天皇が即位される。
光孝天皇の在位884年から無くなる887年までの3年
その後三代天皇光孝天皇宇多天皇、道真の怨霊に悩まされた醍醐天皇よりも
長く生きた。醍醐天皇と共に、仁明天皇の曾孫に当たる。
歌はこの一首のみ伝わるのみ、詳しい時期等は不明。


母、藤原高子は中宮に入る前、在原業平と恋仲にあり、夢枕獏作、陰陽師にもモチーフに取り入れられた
業平作の伊勢物語の六段にも書かれている。匿名の男が、ある屋敷から女を連れ出し、芥川という川のあばら家に入れ
自分は戸口を守る。その晩女は鬼に食われて消えてしまう。
「白玉か何ぞと人の問ひし時、露と答へて消えなましものを」
暗闇に揺れる葉に光る露、あれはいったい何か?逃げることに精一杯でも、消えてしまうならせめてなにか答えるべきだった。
男は業平、女は高子、鬼は高子の兄の基経たち、
その後、連れ戻された後に入内させられる。


以降の段の東くだりも、失意の後に自ら東に下った姿を投影している。琳派の絵のモチーフにも多く取られ、
八段の中からは、根津美術館尾形光琳作、国宝「燕子花図屏風」、サントリー美術館建仁寺風神雷神図の作者でもある
俵屋宗達作、重文「蔦の細道図」なども有名。どちらも、段中の和歌をモチーフ書かれている。


5月28日に十輪寺で行われた「業平忌三弦法要」はその命日に、藤原氏が業平の好んだ料理を作らせ、
供養したのが始まりとされる。


(乱文失礼、備忘録を兼ねてますので・・)