mittsuの日記

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関西熱視線 文楽の鬼 執念の引退公演〜人間国宝・竹本住大夫〜



今回の引退公演までのドキュメンタリー


何とも、今までの芸に対する考えも分かるので、周りがなんと言おうと、
自分で自分の芸に満足できない事で引退という流れになったようだ。
しかし、引退会見やこのドキュメンタリーでの日常会話から見比べてみると、
信じられないくらいの素晴らしい語りであった。


地元大阪でもっともっと、文楽を理解するようにならないと、、
大阪の街が舞台の演劇であるのに、どうしてもっともっと大阪で盛り上がらないのか、、


今回の公演は、国立文楽劇場始まって以来の最高入場者数になった。


本当にこれが切っ掛けになって、地元大阪の方にもっともっと来館していただきたい。

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もともと今回の桜丸切腹は、茶筅酒の段から一括りで、『切「佐田村の段」』となっていて
今では守口市佐田となっていて、佐田天満宮に白大夫社というものもある。
そういう角度から地元の方にもっとアピールしてほしい。


地元大阪の物語なんだ、という誇りを植え付けてほしい。

文楽大阪四月公演、千秋楽

2014年4月 文楽大阪公演
2014年4月 文楽大阪公演 posted by (C)お寺しゃしん


ただのあぜくら会、会員の自分が千秋楽のチケットを取れるなんてどうかしてる。
地元民は一体何をしているのか?
結果、引退公演ということがあっての過去最高記録とは、これもどうかしている。


こんな若輩のにわかが、いいんだろうかとも思ったが、これもなにかの運命、導きと思い
伺わせていただくことにした。


引退公演での桜丸切腹というとやはり越路大夫が思い浮かばれる。
しかしそれは偶然で演目は多分最初から決まっていたのではないだろうか、


そして5月は父、六代目竹本住大夫引退の沓掛村これも図ってだろうか偶然だろうか、


地元を朝の5時に出て11時前に大阪着、4時の二部公演まで時間があるので、
曾根崎の橋づくしを歩いてみることにする。


西から東へ行くが、最初に逆櫓の松を見てみる。

何代目かの松、今人間が昇れば折れてしまうだろう。

一つ一つのスポットに感想はないが、
歩いてみると確かに大長寺あたりで、力尽きてしまう。

天神橋を渡るあたりで、本当の覚悟ができ、
大長寺あたりで、いよいよ、というのは、
実際に歩いてみてよくわかる。


画像は地図上の空色のピン、ラインで
(地図には2ページ目もあり)


より大きな地図で 大阪 文楽めぐり 2008/4/27 + 2009/4/25+2010+2011東京も を表示


参考
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc13/map/


あまりぎりぎりまで活動すると、本番で寝落ちしてしまうので、3時には切り上げ
劇場に、


P1020186
P1020186 posted by (C)お寺しゃしん


列待ち時、
NHKのカメラが入っていてばっちりとられてしまった。
関西熱視線の全国版があるらしい、、映らなければいいが、、


そして場内では
やはり着物姿が目立つ、今回は前列が大変とりにくいということだったが、
中央三列目は有難かった。


前半の中堅どころが、大変素晴らしい。特に今までは、こしらえの語りで、
腹に入っていなかったように感じていた大夫さんも、ぐっと腹に入った自分の語りで、
語りわけも素晴らしい、ここから深まってくれば、大変素晴らしい語りになると思われる。
みな大きな危機感を持ってられるのだろう、、またそうでなくてはこれからの文楽の未来はない。


…そして


桜丸切腹で住大夫さんになる。自分も浅い若輩だが大きく感じる所があるのだから、
こう拍手が止まらないのは大変良くわかる。


そんななか、始まるが、もう第一声で、今までとガラッと空気が変わる、
ただただ声の響きの中に得も言われぬ慈愛がある。


高音が苦しいようであったが、やはり白大夫の語りは何とも言えない心の機微が感じ取られ
もったいないまだまだ、と思うところや、満身創痍の中、最後までありがとう、との気持ちが入り混じる。


最後に床本を戴く姿、盆が回り行く姿、
文楽とは何か、住大夫さんのその姿こそ文楽の体現だ、と大きく感じた。


自分みたいな鈍感な人間にも、一瞬で文楽の魅力を伝えてくれた、そして素晴らしい世界を見せてくれた。
住大夫さんに感謝したい。


そしてその大変な舞台の後すぐに、舞台に出てこられて痛みいるご挨拶を頂いた。
地元大阪のお客様にということでもうなんとも場違いであったように感じ、本当に来て良かったのかとも思ったが、
この場面に立ち会えた責任としても、住大夫さんの言葉通り、
これからの文楽をしっかり見届け自分なりに応援してくことで、
ちょっと言葉が違うかもしれないがこの責任を果たしていきたいと思う。



そして休演が続いていた嶋大夫師の寺子屋、やはり通しで見ていくと、思い入れも大きく違う、
勘十郎さんの松王丸の心が入った動きが印象深い。


そして
気が早いが、玉女さんは来年2代目吉田玉男を襲名されるとのこと、
勘十郎、玉男コンビの復活、先代の往事に追いつく活躍を期待したい。


遅めの食事をして、就寝し、次の朝6時に大阪を立ち帰路へ

衛星劇場 12月

http://www.eigeki.co.jp/eigeki/owaku?action=viewOwakuList&genre=e07&condStartYear=2013&condStartMonth=12#1

特選歌舞伎  特別企画〜名優を偲んで〜
中村富十郎中村芝翫中村雀右衛門中村勘三郎市川團十郎。第四期歌舞伎座閉場後、惜しくも新開場を待たずしてこの世を去った名優たち。 衛星劇場では歌舞伎座新開場を迎えたこの年の瀬に、名優たちの珠玉の舞台を特集放送します。

中村勘三郎の一條大蔵譚
市川団十郎助六由縁江戸桜
中村芝翫京鹿子娘道成寺(テレビ初放送)
中村富十郎船弁慶
中村勘三郎の高坏
野崎村

芝翫のお光、鴈治郎(現・藤十郎)の久松、田之助のお常、富十郎の久作、雀右衛門のお染という、人間国宝五名が揃った又とない顔合わせ

中村雀右衛門の雪暮夜入谷畦道

中村雀右衛門祇園祭礼信仰記〜金閣寺で雪姫
中村芝翫中村富十郎の鐘ヶ岬・うかれ坊主
中村勘三郎勘九郎の連獅子


なんとも素晴らしいライナップで、雀右衛門さんが亡くなられた時は、
ほとんど過去の放送もなく残念だったがこれだけ放送していただけるとなれば、
是非録画したい。
せっかくアーカイブがあるのに放送しないなら、無いと一緒で、こういう放送は
大変ありがたいと思う。文楽も歌舞伎チャンネル終了後まったくアーカイブ放送がないが、
何とか放送する機会を得てほしい。

22日 その3

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そして目の前の
待乳山聖天
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DSC_0207 posted by (C)お寺しゃしん

歌舞伎の隅田川物の背景によく描かれている。ここの周りが法界坊が住んでいたと言われる聖天町です。

こちらも宿題になりそう。



そして、こちらはここで初めて知るが、
池波正太郎生誕地とのこと、
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DSC_0208 posted by (C)お寺しゃしん



付近図もあって、ネット情報より、こちらのほうがよく分かったので、写真を撮って
歩き始める。


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DSC_0206 posted by (C)お寺しゃしん



ほどなくいろいろ発見
猿若町の碑
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DSC_0209 posted by (C)お寺しゃしん
歌舞伎発祥の地は後述するが、
こちらは、天保の改革で、芝居は禁止されるところだったが、遠山の金さんが、庶民の娯楽を奪うことは
気の毒ということで、ここに集めて監視する、というところから、ここに歌舞伎の座が集まった。
江戸歌舞伎の祖、猿若勘三郎中村勘三郎)から猿若町となる。


市村座跡の碑
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DSC_0210 posted by (C)お寺しゃしん


室戸座跡の碑
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DSC_0212 posted by (C)お寺しゃしん


他は見つけられなかった。


中村座市村座河原崎座守田座)が猿若三座としてたいへん大きく活躍する。

参考


その後「江戸下町伝統工芸館」


に行って

鎮護堂にある

キーワード:八代目市川団十郎
嘉永5年(1852)奉納木製提灯、150年前の現物です

なるものを見に行くが、公開はされていないらしい。


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DSC_0213 posted by (C)お寺しゃしん



岡崎屋勘六の墓を見に行く

安永8年に中村座新春狂言の看板を書いたことが評判を呼び、
芝居文字は勘亭の書いた文字(勘亭流)でということになっていった。 
勘亭流元祖岡崎屋勘六の墓。

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DSC_0218 posted by (C)お寺しゃしん

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DSC_0217 posted by (C)お寺しゃしん


そして、
久保田万太郎生誕の地

下町の義理と人情を描写した小説、戯曲の作品多く、
文学・演劇界に多大な功績を残した作家。歌舞伎の脚色や演出も有名です。

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DSC_0216 posted by (C)お寺しゃしん


ここで、昼食休憩


その後、
江戸歌舞伎発祥の地へ、
こちらは、ちょっと場所が変わり、東京都中央区京橋3丁目
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DSC_0219 posted by (C)お寺しゃしん
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DSC_0220 posted by (C)お寺しゃしん
寛永元年2月に、ここで中村勘三郎が歌舞伎を始めた。とある。

結構迷って歩いてしまった。


帰りは夕方でまだ時間があることから、久しぶりに東京国立博物館へ、
常設展のみ、なにせ写真撮影も可なので、そこが大変うれしい。

国宝、福岡一文字吉房 岡田切
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P1020120 posted by (C)お寺しゃしん
天下一の刀紋を見れた。


そして、酒井抱一の「夏秋草図屏風」を見れた。
お願いだからフラッシュは焚かないで欲しい、というか常識だ。
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P1020122 posted by (C)お寺しゃしん


以前、どこかで、尾形光琳風神雷神図と背中合わせで展示していたのを見たような気がする。
出光美術館だったか、昔の赤坂見附サントリー美術館だったか、それともここでだったのか…
宗達風神雷神図もあったような気がするが…


そんなこんなでいい時間になり高速バスで帰路。
降りた先で近辺に初めて天下一品ができたということでこってりを食す。
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2013_09_22_21_45_32 posted by (C)お寺しゃしん
こんな小奇麗な店舗は天下一品で無い、もっと薄汚れた学生のラーメン店という印象なのに、
味は…普通で強烈なこってり感は無かった。


超深夜家着

22日 その2

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その後

隅田公園で「山の宿の渡」の立札を探すが、見つからず、

隅田川を渡って、「三囲神社」へ
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P1020115 posted by (C)お寺しゃしん


名前の縁から三井家の守護社となり、池袋三越閉店の際に、ライオンの像が寄進された。

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DSC_0200 posted by (C)お寺しゃしん


歌舞伎的には

舞台背景によく出る三囲神社鳥居と土手 「道行浮塒鴎」、「桜姫東文章」、「法界坊」ですが、今では首都高向島線のすぐ横で入り口は向島花柳界の通りから境内に入ります。

まったく分からないもので、機会があったらTV,DVDなりで見てみたい。


長命寺桜餅へ
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DSC_0202 posted by (C)お寺しゃしん
店内で頂く。
自分のほかにランニング中の休憩の方が一人居られただけ、
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2013_09_22_10_09_41 posted by (C)お寺しゃしん
大変美味で、趣がある味だった。江戸の桜餅発祥とのこと


歌舞伎的には、

「法界坊」の序幕、道具屋の市兵衛が小道具に桜餅を使いましたね!「しめたぞ、しめた、しめこのうさぁうさぁ〜」思い出したでしょう。

こちらも後の宿題に、


そして隣の長命寺(お寺)にはいろいろ石碑があったが、
個人的にわかるのは、
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DSC_0201 posted by (C)お寺しゃしん
3代鶴沢清六が初代の為に建てた、供養の碑くらいだった。


そしてその名も「桜橋」を渡って、もとの隅田公園

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P1020118 posted by (C)お寺しゃしん


振り返れば、桜とスカイツリー、春の風景を想像して眺めてみるのも、
また良いように思う。
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P1020117 posted by (C)お寺しゃしん


橋を渡ると、
隅田公園 山谷堀広場で「平成中村座跡」兵どもが夢のあと…である。
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DSC_0203 posted by (C)お寺しゃしん
wowowでは、2011年11月の平成中村座「沼津の段」が放送されたが、
あの舞台、あの元気な姿、共々跡形も無く、何もなかったかのような風景はなんとも、
さみしい限り。


そこには、「竹屋の渡し跡」が、
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DSC_0204 posted by (C)お寺しゃしん

キーワード:大道具
舞台背景に待乳山聖天が見える船着き場は大川情緒豊か「竹屋の渡し跡碑」

となりの待乳山聖天と一緒に良く舞台背景に書かれるとのこと。



(つづく)