mittsuの日記

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文楽の人間国宝・七世竹本住大夫が引退 68年の大夫人生に幕

http://news.livedoor.com/article/detail/8870830/

 文楽人間国宝・七世竹本住大夫の引退公演(東京・千代田区国立劇場)が5月26日、千穐楽を迎え、住大夫は1946年4月に入門して以来、68年間の大夫人生に幕を引いた。

 4月の大阪・文楽劇場大阪市中央区)での「引退公演」に続き、東京公演も日々、満員。20日には、住大夫の最後の語りを聴くため、天皇陛下国立劇場を訪れ、観劇後には皇后さまも一緒に歓談されたという。

 千穐楽。満員の観客から、掛け声と大きな拍手を贈られ、最後の舞台を終えた住大夫。
 舞台上での最後のあいさつでは、「4月の大阪に続き、この5月公演も初日からこのように賑々しく、一同、感謝の思いでいっぱいです。一昨年に脳梗塞で倒れたあと、やはり後遺症があり、口さばきの悪さや、腹から声が出なくなり、お客様に申し訳ない、もう恥かきたくない、しんぼうたまらんようになって、2月に引退を決めました。私事で申し訳ないが、68年、大夫を務められたこと、ありがたく思います。亡き先輩方が不器用な自分を厳しく、親切に指導してくれたおかげやと思っております。ええご縁をいただいた、運のええ男や思います。いまは喜びと感謝と敬いの心です」と感慨深げ。
 その後、同じく人間国宝人形遣い、簑助から花束を受け取り、「長く苦楽をともにしてきたから感無量です」と、涙ながらに手を握りあった。

 舞台人生の「集大成」。締めくくりに住大夫が語った演目は「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)・沓掛村(くつかけむら)の段」。実は、養父の六世住大夫が引退の際に語ったのもこの狂言だった。

 お家追放となった主人の子を武家の子として立派に育てようとしている馬方。武士の子に生まれながら、そんな思いをよそに馬追いになりたいと言う子供。馬方である息子の身を案じてやまない母。
 89歳の住大夫が、病弱な婆(乳母)、忠義心の厚い馬方、そして、むじゃきな五つの幼子までを、ときに激しく、ときにやわらかに、そして悲しく、情をこめ演じる。「情のある語り」が身上の、住大夫らしい心を打つ名演だった。

 50年来、住大夫の語りを聴いてきた山川静夫氏は、「義太夫は『情』を語りこむことが一番大切。人間性が大きく作用します。『情』は、年月をかけてこそ到達できる人間の味。“住大夫三役”という、『合邦辻』の合邦、『沼津』の平作、『引窓』の南与兵衛、婆など、稽古に稽古を重ね、日々研究してきたからこその、円熟の芸でした。潔い引退にも人間性を感じました」と、感謝の思いと言葉を添えた。

「やっぱり、きょうは、さみしいて……次の公演にも出るような気して」
 最後に、思わず本音をのぞかせた住大夫。それでも「きょうで浄瑠璃はきっぱり縁切ります。弟子の指導にあたります」と、自分に言い聞かせるように続けた。
 
 今後は、弟子の指導や後継者の育成などにあたるという。
 文楽への熱い思いや厳しさは、もちろんこれまでと変わらない。
「若いもんはかっこつけず、もっともっと文楽浄瑠璃と向き合い、稽古せなあきません。みなさん、これからも文楽に叱咤激励、ご指導ご鞭撻をお願いいたします」
 多くの文楽関係者やファンに見送られ劇場を去るときにも、深々と頭を下げた。

竹本住大夫(たけもとすみたゆう)
1924年10月28日大阪市生まれ。89歳、現役最高齢の大夫。住大夫としては七世。父は六世竹本住大夫。1946年、二代目豊竹古靱太夫(のちの豊竹山城少掾)に入門し、豊竹古住太夫を名乗る。1985年、七代目を襲名。1989年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定、日本芸術院会員、文化功労者。2012年夏に脳梗塞(のうこうそく)で倒れ、2013年の1月に復帰したが、 「今までやれていたことがやれなくなった」と、2014年2月28日に引退を発表。5月の東京公演で68年の舞台人生に幕。

6月のあぜくら会の会報も、お名前を探すこともなくなってしまった、大変残念
舞台は引退しても後ろに入ることもなく、メディアにはまだまだ出ていただいて、
文楽の顔として活躍して頂きたい。


5月の公演の解説書もお送り頂き、幸運にも頂き、
見せて頂くと、住大夫さんの記念の写真集のようなものもある。
350年の歴史のうち、90年間過ごされた。
よく聞くが昔のだれだれの方が良かった、だれだれの方が上手だなど比べるのはナンセンスだ。
周りの状況、その時代の雰囲気に合ったものが、その時代の価値観になってくる、
経済成長に伴い、さまざま満たされ嗜好も多種多様な時代であったから、
越路大夫師の彫の深いコントラストのある語りが、心に大きく印象を与えることとなったのだろうし、
今のこの殺伐とした世知辛い、平成の時代であるからこそ、
住大夫師の慈愛のある深い情の響きと厳しい稽古、長い経験から得られる技術を伴った
語りが聞く者の心に大きく響くのだと思う。
住大夫さんのCDを販売していた和楽舎さんもどうも最近は活動されていないようで、
CDは流通在庫のみであると思われる。今、手に入れておかないと後々後悔することと
なるかもしれない。
個人的には沓掛村の段の前に恋女房染分手綱という物語自体全く分からないもので、
この機会に少し調べてみたい。