mittsuの日記

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文楽劇場前モニュメントについて気になる記事

歴史誇る「二ツ井戸」復元 文楽劇場前、5日除幕
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120402/20120402012.html
大阪市中央区の高津地区でかつて地域住民に親しまれた「二ツ井戸」が、同区日本橋1丁目の国立文楽劇場前にモニュメントとして復元されることになった。井戸にまつわる由緒は約400年にさかのぼり、徳川家光真田幸村ら武将に関連する言い伝えも残る。同地区は織田作之助夫婦善哉(めおとぜんざい)』の舞台で文楽発祥の地でもあり、新たなまちおこしのツールとして住民の期待が高まっている。除幕式は5日。

 二ツ井戸は、その名の通り連なった二つの枠からなる井戸で、1796(寛政8)年発行の『摂津名所図会』にも、「三都自慢競」として「有馬の火の見」(江戸)「知恩院の傘」(京都)と並び、大坂は「道頓ほり二ツ井戸」とうたわれた名所。1634(寛永11)年ごろには、地下水脈を使い、時の為政者である家光の地代免除の政策に応えるために釣り鐘を鋳造したという史実や、幸村が抜け穴として利用したという伝説も残っている。

 復元については、かねてより住民から切望の声があったという。「高津地区まちづくり推進協議会」が中心となって寄付を募ったところ、個人、法人問わず申し出があり、始めてまもなく建設費用のめどがついた。高津連合振興町会会長の山口滋万麿さん(65)は「高津のまちづくりを進めていくにはうってつけの文化財だ」と完成を喜んでいる。

 そもそも井戸は、一方は飲用、他方は工業用水に利用されてきたという。1889(明治22)年には、都市計画による区画整備のため、地図(1)の場所から払い下げられ、引き受けたのが同(2)で営業していた粟(あわ)おこしの生産者「つのせ」だ。

 この地区(現在の同区道頓堀1丁目東)は、当時は「二ツ井戸町」の地名で、現在も「二ツ井戸町会」がその名残をとどめている。大正年間(1912−26)にはビル建築などの影響で水脈は枯れ、その後の戦災により消失。戦後同(3)へ同店が移転し、井戸が復元されたが、さらに平成に入って市外(現本社・堺市堺区)へ転居した後は埋め立てられたという。

 同劇場前=同(4)=には、石造りの井戸枠と銘板が添えつけられる予定で、住民の寄付による完成は愛着の結集といえそうだ。二ツ井戸町会の住民で、復元実行委員長の金田次郎さん(68)は「歴史遺産、観光資源として将来に伝えていきたい」と意欲的に話している。

知恩院の傘」とは?… →「知恩院七不思議の忘れ傘」