親知らず方面 1
今年は、奥の細道紀行320年記念ということで、少し前に親知らず方面へ行ってきたので、
記憶がおぼろげになるまえに記述を、
芭蕉の時代と言う事でもなく、平安時代から難所で有名だったらしく、平清盛の弟の子も通る際に波にさらわれ、
そのときから今の呼び方になったらしい、(諸説あり)
細道と関係ないところでは、
高速道路も海に張り出して造られていて、すごい迫力があった。
P1030557 posted by (C)お寺しゃしん
夕日もきれいらしく案内もあった。
もう少し進んでいくとやはりまだまだ、海に張りだした高速道路が、、すごい迫力だった。
P1030562 posted by (C)お寺しゃしん
観光ホテルから降りる道があり、下ると昔通りの浜辺へ、、
P1030564 posted by (C)お寺しゃしん
今現在昔の通りに出れるところはここだけのもよう。
P1030570 posted by (C)お寺しゃしん
壇ノ浦後、助命された清盛の弟、頼盛の妻がここで子を波にさらわれ、呼んだ歌が地名の由来とも言われているよう、
親知らず、子はこの浦の波枕、越路の磯の泡と消え行く
浜辺には誰が積んだか分からないが、賽の河原にあるような、(予想で)石を積んだだけだったが、
小石塔が造られてあった、いにしえの故人をしのんで観光客が積んだのか、
実際に水難があった地元の方が積んだものかは分からない、、
背後が崖なだけに、波の音がものすごく大きく聞こえる、
ただでさえ難所中の難所で、苦慮するなか、この音でさらに恐怖が増したのではないかと思う、、
今となってはもう誰も見向きもしない、大きな波の音がするだけのところになってしまった、
大きな波の音は、いにしえ人の悲しい呼び声のようにも聞こえる、
さらに、奥の細道風に、書いてみると、
おやをよぶ、こをよぶなみのね、おわりなく、
とこんな感じになりそう、
昔よりもさらに浜辺が少なくなっているのでもう通るのは無理のような噂を聞く、
崖には観音様などが埋め込まれていて、今は海上からではないと見ることは出来ないもよう
(つづく)