mittsuの日記

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タヌキの由来 由来教えて 第二京極通に鎮座の3体

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007070300091&genre=K1&area=K1C

 京都市中京区の通称・第二京極通(新京極通錦下ル一筋目)周辺で、3体の「タヌキの神様」がお社や商店に祭られている。その名も六兵衛、七兵衛、八兵衛。由来を知る近くの錦天満宮の前宮司が昨年病気で急死、詳細が分からなくなってしまった。現宮司の大和政夫さん(64)は「貴重な地域の信仰や言い伝えが消えてしまう」と情報提供を呼びかけている。

 ■錦天満宮 前宮司急死で不明に

 大和さんは昨年1月、宮司に就任した際、同天満宮が六兵衛明神を預かっているのを知った。周囲に聞くと、六兵衛明神は旧京極東宝ビルの事務所に祭られていた。同ビルを取り壊してホテルを建設するため、兄で前宮司の政安さんが生前、預かったという。

 ほどなく、同天満宮に隣接する丸二食堂に七兵衛明神が、南東約100メートル先には八兵衛明神が、それぞれ祭られていることも知った。

 丸二食堂の松永茂さん(67)によると戦争中、空襲から守るため、旧京極東宝の隣接地(現・新京極公園)から同店が引き取った。「ずっと、うちが六兵衛さんやと思っていましたが、前宮司さんが数年前『あんたのとこは七兵衛さんや』といわはったんです」という。

 八兵衛明神は、柳小路(第二京極通裏寺町西入ル一筋目)に小さな社があり、長年地元の信仰を集めてきた。3年前、名前にあやかって飲食店「はちべー」を開いた岡本圭司さん(36)が社を改修、「地域の名所に」と恋愛や学業成就など8体の願掛けタヌキ像も併せて置いている。

 前宮司は生前「このあたりは、もとは寺や墓地で、明治初期にはタヌキがすむまでに荒れていた。街区を整備した際、死んでいたタヌキを祭った」と由来を話していた。しかし、それ以上のことは分からない。住民の多くも、タヌキの神様が3つも存在することを知らない。

 江戸時代の「元禄京都洛中洛外大絵図」によると、一帯には金蓮寺と歓喜光寺があった。中でも金蓮寺には芝居小屋があり、人気を集めた。明治時代、にぎわいを復活させようと府知事の肝いりで新京極通ができ、映画館や寄席が立ち並んだ。このため「タヌキの神様は芸能と関係するのでは」と考える人もいる。
 同天満宮は、ホテルが完成すれば、預かっている六兵衛明神を返す予定。大和宮司は「3体のタヌキの神様がどういう関係なのかも分からない。お返しする前に、歴史や由来を突き止めたいが…」と話している。

どうなってしまうのか、非常に気になる、、