東京巡り 5
国立博物館で、後、驚いたものは…
大徳寺の大仙院といえば、室町期の枯山水で有名ですが、もともとそこにあった襖絵だとのこと。
存在していることだけでもすごい、
重文 太公望・文王図 4幅 伝狩野元信筆 旧大仙院方丈障壁画 posted by (C)mittsu
重文 銹絵観鴎図角皿、乾山、光琳合作のもの、
重文 銹絵観鴎図角皿 尾形光琳・深省合作 posted by (C)mittsu
などなど、企画展も見ていたら一日掛かりになると思われる、、
そして午後も少し進んだころ、退館
次には、寛永寺へ
先の上野山戦争の際にほとんどが焼けてしまったため、埼玉からの移築のもの、しかし付属の書院は当時のもので、徳川慶喜が蟄居していた部屋がある。
寛永寺 本堂 根本中堂 posted by (C)mittsu
詳しい説明
寛永寺 本堂説明 posted by (C)mittsu
(大きい画像 http://photozou.jp/photo/photo_only/17077/2591696?size=1024)
乾山の墓といわれるものも、、光琳のお墓は妙顕寺にあったはず、しかし乾山は失念、本当にここにあるのかもしれない、、
尾形乾山墓碑 posted by (C)mittsu
説明等
尾形乾山墓碑 posted by (C)mittsu
(大きい画像http://photozou.jp/photo/photo_only/17077/2591726?size=1600)
大事にされているお地蔵様も、
寛永寺 お地蔵様 posted by (C)mittsu
そして次のスポットの谷中霊園へ、途中でたまに名前を聞くパティスリーイナムラショウゾウが警備員を付けての長蛇の列、こんなところにあるとは知らなかった。。
徳川慶喜公のお墓、他の将軍はお寺にお墓があるが、赦免してくれた明治天皇に感謝の意を示すため、神式での埋葬という形をとっている。
徳川慶喜墓 posted by (C)mittsu
徳川慶喜墓 posted by (C)mittsu
地元の方と思われる方が、すぐそばのお墓を、「この墓は、慶喜公の9男のものだ。」と教えてくれた。
(つづく)