mittsuの日記

ダイアリーからブログへ移行しました。

下記から移動しました。

http://d.hatena.ne.jp/mittsu/


昨日の新景観施策の続き 2

もっともっと根本的な所を深く深く考えてみると、日本の古来からの考えと、明治からの欧米化、
そして戦後の経済発展がそもそも合っていなかったのかもしれない、しかしそれは日本だけでなく他の国もそうだように思う。
スローフードスローライフと言う言葉も、元は欧米から伝わってきた言葉、京都の街にもスローライフと言う形容詞が付けられることも、
あったように思うが、世界的に良き時代を思い直してみようと言うのだろうと個人的に解釈して見ると、
世の暮らしが人間的に諸所の点で許容オーバーになってきているのかもしれない。
だからこそ昔の面影を残す、京都の街が国際観光都市となり、年間5000万人に届くところまできているのだと思う。
平安京が出来てから色々な権力者などに色々支配、占領されて来たと思う、
武士の世の先駆け平清盛、平家と争った木曽義仲、その後幕府を開いた源頼朝室町幕府足利尊氏
上げているときりが無いが、そのつど乗り越え今に至るが、そう考えると現在の敵は一人歩きした経済発展と言う人間の欲求。
現在だって経済発展という名の元に色々なものが無くなり、経済効果ということのみによって生まれて来た新しいものに占領され、
残されるものは経済的価値があると判断される例外的なものだけ、古くからの人の営み、考え、価値観など関係なく。
もう田中角栄時代の人間の欲求を満たすものはすべからく善、経済発展はすべからく善、
という旧式の20世紀型の考えから、変わって行かなくてはいけないのかもしれない。
吾唯足るを知る、足るを知るものはお金が無くても心は富める、足るを知らぬものはお金があっても心は富めず、
というような意味だと思うが、自分の欲求を満たすものならどんな形でも良い、そんな考えだとどこまで言っても満足は得られない、
高いマンションに住みたいなら東京に行けばいい、空気のいいところで暮らしたいなら田舎に行けばいい、
都会に居ながら、空気が汚いと文句をいうことは悪いと言わないが、空気をよくしろと言うことはもう適わないと知ることだと思う。
なにが一番大事で何を我慢するか、自分を基準に考えやすいが大きな目で大局を良く見て考える。
やはり具体性の無い精神論かも分からないが、そういうところから始まるのかもしれない。
…結局色々考えても月並みな答えしか出ない朝まで生テレビみたいな話になってしまった…。
当事者で無い責任の無い者では、具体性の無い話にしかならないのかもしれない。


(全体と通して30代前半、独身としての意見で、読み直すと一人自由な身の者の意見でした。)