2006-10-22 先週分と今週分、千代の機転で文を送る 功名が辻 家康のところにとうとう直江状が届く、家康に大義名分が立ち、会津に出立、大坂では、石田三成挙兵、 長岡京では勝竜寺城跡の近くに居て、ガラシャ祭りも合ったもので、細川ガラシャは親近感がある、 このような死に方とは知らなかった。一豊もとうとう徳川の味方に付くことに、義の三成か、利の家康か、 人質を取って仲間にしようとしているところから三成は分が悪かったのかもしれない。 来週はいよいよ関が原のようで、大詰めになりそう、 千代が弾劾状を一豊に送る時には、まだどちらに味方するか分からなかったとは、知らなかった。