mittsuの日記

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池の底から中世の「洲浜」知恩院・方丈庭園 尊氏建立幻の寺?

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2006020900141&genre=M2&area=K1E
「常在光院」と言うお寺で、聞いたことがない・・。と思ったが結構有名なようだった。
徒然草でも、238段に逸話が書かれていた。

一つ。常在光院の鐘付きの鐘は菅原在兼(文章博士)が下書きしたものである。藤原行房が清書して、鐘の銅を溶かして入れる鋳型に写そうとしたときに、その場を取り仕切る幹事が、その清書を取り出して私に見せるので見てみると、「鐘が花の他にも遠ざかっていく夕日を置くって、遠くまで響き渡る」と漢文で書いてあった。私が「漢文の韻を踏んでいるとしたら、この百里というのは間違いではないのでしょうか?」と言ったら、「吉田先生*1に見ていただいてよかった。私の大手柄です」と幹事は言って、書いた人の所へ使いをやって伝えたのだけれども、「わたしの間違いだ。遠くまでという言葉を、たくさんという単語に直しなさい」と返事が返ってきた。たくさんとはどういった距離なのだろうか? 鐘の音が周りにぽわんぽわんと聞こえると言う意味だろうか? なんだかおかしい。

と言う文章があった。
気なると、調べずにはいられないので、調べてみると、
もともとは密教系の寺院で、鎌倉時代の執権、金沢貞顕鎌倉時代に復興し、
尊氏が引き継いだとのこと。
等持院、等持寺、と同等の存在であった。義満の時代以降は、
南禅寺の退居した僧が住持する、格の高い禅宗寺院となった。
応仁の乱の時に焼けたと応仁記に書かれている。
その後の再建の有無は、調べてみたが分からない。
再建されなかったのかもしれない。(不確定)
参考、応仁記
http://homepage1.nifty.com/sira/ouninki/index.html