mittsuの日記

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しらべもの

大河ドラマって演出が強く、史実とはかけ離れていると分かって、
いまさら平家物語を読んで色々調べてみる。
そうすると、どうも、史実というところから見ると、平家物語も今の大河ドラマ並みに演出が、
あるとやっと気づく、、
いわゆる、殿下乗合事件(資盛が路地で、摂政従一位藤原基房に辱めを受ける事件)
でも、親の重盛が、怒る清盛をなだめ、資盛の不徳を嘆く、だが清盛が60人もの武士に基房を襲わせる、、
という場面でも、愚管抄という事実に基づいていると思われる、天台宗の僧侶慈円が書いた史論書を見ると、
清盛ではなく重盛が襲わせていたと書かれているそう、


この間の義経の一の谷の場面も放送されたが、
慈円の兄で、東福寺を建てた、九条道家の祖父、九条兼実(くじょうかねざね)の日記「玉葉」の、
寿永三年ニ月八日条には、最初に山の手を攻め落としたのは多田行綱であると書かれているそうです。
平家物語は、所業無常の響きあり、盛者必衰の理をあらわすとはじめに書かれているように、
このように演出した物語であるということのようだった、それが悪いというわけではないが、
事実とその演出を見比べると当時の世情の反映であるようで面白い、と思う。
戦乱であったり、疫病であったりで暗い世の中だったのか、平和でも刺激の無い時代であったのか、
そういう英雄物語であったり、平家の雅さの演出であったりが、今と一所で受け入れられる時代だったのかなと思う。