mittsuの日記

ダイアリーからブログへ移行しました。

下記から移動しました。

http://d.hatena.ne.jp/mittsu/


新日曜美術館 「国宝“伝源頼朝像”の謎を追う」

この間、神護寺の頼朝像を少し調べたので(http://d.hatena.ne.jp/mittsu/20050619)興味があり見る。
「国宝“伝源頼朝像”の謎を追う」
 大河ドラマ義経」人気で鎌倉時代への関心が高まり、
ドラマと連動して開かれている展覧会「義経展」にも大勢の人々が足を運んでいる。
この展覧会場の中に、ひときわ目を引く肖像画がある。国宝『伝・源頼朝像』。
理知的で威厳に満ちた武家の棟梁(とうりょう)にふさわしい容貌の持ち主。
教科書などでもおなじみの肖像画だ。この国宝は、京都・神護寺の仙洞院に伝えられ、
12世紀末、似絵の名手・藤原隆信によって描かれたとされていた。
 しかし、近年、「この人物は頼朝ではない」という説が出され、日本美術史学会を揺るがせている。
新たな像主の名前を記した室町時代初期の文書が見つかったのだ。像主の名前は、足利直義
兄・足利尊氏と共に、当時、二頭政治を行っていた。制作年代は1345年。
この新説を発表したのは上智大学教授・米倉道夫さん。
 米倉説を受けて、今、『頼朝像』を再検討しようという動きがある。
仙台市博物館・樋口智之さんは、
(1)描き方を検証した結果、中国の肖像画に近く、米倉説の通り隆信の作ではないと結論づけた。
(2)しかし、修復に伴う調査により制作年代は13世紀中期と推定される。そして、像主は、やはり頼朝としている。
 果たして国宝『伝・源頼朝像』は、一体誰なのか。
鎌倉時代、武士たちはこの頼朝像の他にもさまざまな肖像画を残しているが、像主名の混乱が生じている作品が多い。
番組では、鎌倉時代を代表する傑作、国宝『伝・源頼朝像』の謎に迫ることで、肖像画を好み育んだ鎌倉人の美意識を探る。
(*NHKの番組案内から、公式ページは無し)


たしかに源氏の頼朝像と平重盛像と一緒にあるのもおかしいような気もするし、
足利家の菩提寺等持院までいって、木像などと比べたり、頼朝が善光寺
きたときに作った木像などと比べたり色々信憑性を帯びる研究が多かった。
しかし、真相というのは、よほどの文献が発見されない限り、研究のみでは、
見つからないでしょう。頼朝像は現代人が見ても品があり、かっこいい、
平重盛像が尊氏というのも、確かに等持院の像とも似ている、
しかし神護寺=足利家というのが歴史的背景からまったく見えない、、
義直祈願文という文献も大事だけど、それだけにとらわれると違うものになってしまいそう。
神護寺の寺宝などはやはり平安後期から鎌倉初期などにそろえられたのでは、、
と思う。