mittsuの日記

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臨川寺

京検のテキストにも載っていないが、良いお寺だと思うので、、
(現在拝観停止)夢想疎石一門相承のお寺。
一時は五山にも数えられた。
渡月橋の少し南で、大覚寺統
夢想疎石と深いかかわりがある。もとは亀山天皇離宮で、
大堰川畔にあることから、川端宮、川端殿とも言われた。
そして、亀山天皇の皇女、昭慶門院嘉子(しょうけいもんいんかし)
に伝えられたのち、昭慶門院は、
後醍醐天皇の第二皇子世長(ときなが)親王を養子にもらいうけた。
その世長親王禅宗に引かれ、夢想疎石の兄弟子に当たる、仏得(ぶっとく)禅士に、
ついて学んでいたが、早くに亡くなってしまったので、北畠親房(きたばたけちかふさ)が、
親王の遺言で禅寺とした、さらに建武二年(1335)後醍醐天皇が夢想疎石を開山とし、
臨川禅寺と名づけた。
後醍醐天皇南朝に逃れた後は、天皇には寺を整備する財力が無くなった。
そのため、夢想疎石が一門相承の寺として、隠居所としてそこに上品な庭を作った。
その後、室町幕府にも庇護を受けて、十刹の二位に置かれた。


その後現在に至るまで何度も火災にみまわれ、現在は、中門、三会院(さんえいん)と客殿が
現存するのみとなった。
中門には足利義満筆の額が架かる、その奥には、疎石設計の白砂の石庭「龍華三会の庭」がある。
昭和に復元されたものだが、釈迦三尊や十六羅漢をあらわす見事な作りになっている。
三会院は、昭堂、相の間、礼堂からなるもので、本尊に弥勒菩薩像を安置してある。
客殿は安土桃山時代のころのもので、内部は狩野派に障壁画が描かれている。
夢想疎石のお墓もここにある。


隣の料亭から庭園が良く見えるらしい。
場所
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.0.41.697&el=135.40.54.862&la=1&fi=1&prem=0&sc=2