mittsuの日記

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弥次さん喜多さん200年のついて気になる記事

弥次喜多精神、不況時にこそ「東海道中」終着から今年200年

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009031900116&genre=M1&area=K00
 弥次喜多(やじきた)道中でおなじみの江戸後期の滑稽(こっけい)本「東海道中膝栗毛(ひざくりげ)」で、弥次さん、喜多さんが江戸から大坂までの旅を終えてから、今年で200年になる。2人は京でも騒動を繰り広げたが、決してへこたれない。膝栗毛のガイド本を2年前に出した元京都市立芸術大学長で市立中央図書館長の中西進さん(79)は「不況時こそ、そんな陽気さに学ぼう」と勧める。物語に登場する三条大橋のそばの商店街もまちづくりに生かそうと知恵を絞る。

 ■「陽気さ学ぼう」と中西進さん推奨、商店主らまちづくりへ

 膝栗毛の中で旅の年代は設定されていないが、中西さんは「描写からみて、出版と同時期と考えるのが自然」と話す。大坂に着く8編は、1809年に刊行されている。

 源氏物語に関する著書もある中西さんは「人間の業を浮き彫りにした源氏に対し、膝栗毛は庶民を描いた人間賛歌。今こそ弥次喜多の『ケセラセラ(なるようになる)精神』に光を」と唱える。

 京都に立ち寄った弥次喜多は清水寺や北野天満宮伏見稲荷大社のほか、芝居小屋や花街も訪れる。遊女を逃がしたとして裸で放り出されたり、小便を酒と間違えて飲んで「のどが裂ける」と騒ぐなどの珍道中だが、めげずに旅を続ける。

 中西さんは「芝居の見方一つとっても、江戸より上方の文化の方が優位という当時の価値観が読み取れる」と指摘し、不況だけでなく、東京一極集中の現況も踏まえて「『関西人よ、膝栗毛を読んで自信を取り戻せ』と言いたい」と訴える。

 物語に宿屋街として出てくる三条大橋かいわいでは、地元の三条小橋商店街が15年前、2人の銅像を大橋の西詰に建立した。毎秋の時代祭の日には、商店主や学生が弥次喜多にふんして観光客を迎えている。

 商店街の大西弘太郎理事長(55)は「歩いて旅した2人にちなみ三条も歩いて楽しい街を目指す」と話す。歩道の拡幅を市に求め、近く橋の清掃活動も始める。「一帯は幕末には池田屋事件の舞台になった。街の歴史をアピールして誘客を進めたい」と意気込む。

 ■東海道中膝栗毛
 弥次郎兵衛、喜多八が江戸から旅する創作の道中記。十返舎一九が江戸後期の享和二(1802)年から8編に分けて記した。京都は6、7編に記され、大坂を描いた文化六(1809)年刊行の「八編」で一段落した。その後、2人の素性を記した「発端」なども出た。