mittsuの日記

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源氏物語新発見について気になる記事

大沢本源氏物語を発見 池田亀鑑の調査後、70年不明
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008072200030&genre=M1&area=K00
 源氏物語研究の権威で昭和初期の国文学者・池田亀鑑(きかん)が戦前、調査しながら所在不明になっていた幻の「大沢本源氏物語」が見つかったことが21日、分かった。国文学研究資料館(東京)の伊井春樹館長が大阪府立大(堺市)の講演で発表した。豊臣秀吉が所蔵し家来に与えたものと伝えられ、京都の「陽明文庫本」に匹敵する「重文級の古写本」という。

 「大沢本」は、五十四帖(じょう)すべてそろい、縦横約16センチの写本。表紙は金襴緞子(きんらんどんす)の装丁で統一されている。

 全体の3分の二は鎌倉時代の写本。源氏物語の写本は青表紙本(あおびょうしぼん)と河内本(かわちぼん)の系統があるが、大沢本は平安時代源氏物語の本文の状況を伝えるとされる別本が二十八帖もあった。

 また夕霧の巻の末文には、他の写本にはない「なにはの浦に」との和歌が引用されるなど全く新しい個所も見つかり、源氏物語の本文が多様に変化していたことがあらためて分かった。

 鎌倉時代の別本を多く含む写本は、重文の「陽明文庫本」と「保坂本」(東京国立博物館蔵)が知られ、「それらに匹敵するか、それ以上の価値がある」(伊井館長)という。

 「大沢本」にはまた、明治期の美術鑑定の権威・前田香雪や古典学者・小杉榲邨(すぎむら)が1907年に書いた鑑定書が添えられていた。秀吉が大沢護久に下賜した伝承を記すほか、題字は公家の近衛信伊(のぶただ)、金泥の下絵は狩野山楽が書き、写本の筆者は西行や寂蓮(じゃくれん)、後醍醐天皇らとしている。

 大沢本は個人蔵といい、伊井館長は3年前に仲介者から調査を依頼された。

 ■原本に迫る手掛かり

 幻の「大沢本源氏物語」が、明治の学者が鑑定してから100年、池田亀鑑の調査が未了のままになってから70年ぶりに見つかった。近年、学界で注目を集めている別本が半数を占める重文級の写本で、源氏物語研究に大きな刺激となる大発見となりそうだ。

 源氏物語紫式部の自筆本は現存せず、鎌倉初期に藤原定家が校訂した青表紙本と、河内守(かわちのかみ)源光行・親行親子が校訂した河内本を書写した二系統の写本、この二系統に含まれない別本の写本が伝えられる。池田亀鑑が青表紙本をより純良な本文と判断して以来、その忠実な写本とされる古代学協会(京都市中京区)所蔵の「大島本」を中心とした本文が広く読まれている。

 しかし、青表紙本の「大島本」は室町後期の写本である上、どうさかのぼっても定家が手を入れた源氏物語でしかなく、紫式部による原本の源氏物語ではない。印刷技術のなかった時代、書籍は書写するしかなく、誤りや脱落、書き込みが起こりやすく、平安末期の源氏物語はさまざまに違った本文になっていたとみられている。

 鎌倉時代の別本を含む「大沢本」は、定家の校訂前の多様な本文を伝えている可能性が高い。今後、別本の研究が進めば、紫式部源氏物語に近づいていくかもしれない。それだけに、「大沢本」の発見の意義は大きい。
 ▽大沢本源氏物語 池田亀鑑(1896−1956)が1940年ごろに調査し、戦後刊行した「源氏物語大成」に「大沢家蔵源氏物語」と紹介した古写本。池田は調査途中で中止せざるを得なくなり、全てを調べられないまま、「戦火は免れたと思はれるが、今その行方を知らない」と記録している。

いつ個人に流れたのか不思議、