mittsuの日記

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14,15日の行動12

蹴上駅から出て行き先を考え、やはり予定にも入れていた金地院へ、
やはり鶴亀の庭なるものを見たいと思いそちらへ、
そして、初めて、ねじりまんぽを通った。
ねじりまんぽ
ねじりまんぽ posted from フォト蔵
その意味等は説明するまでも無いが、インクラインを横切るトンネルなので、
やはりその当時のものであるのは間違い無いのだろう。
そして、金地院へ、
本堂屋根の補修工事中で、この日記で紹介していたにもかかわらず、忘れていた、、
最初に言ってしまうと、これが禅寺五山の上に関わる場所であるとは思えない感じだった。
もちろん家康に付き、黒衣の宰相といわれた以心崇伝のものでは、あったが、
ただ家康にへりくだるだけのものでなく、五山の上としての禅の空気だけはあると
良かったという感じだった、肝心の鶴亀の庭もただ見れば、なんとも無いが、
意味を知って見ると奥が浅いものに見えてしまった。
金地院 鶴亀の庭 東照宮遥拝石
金地院 鶴亀の庭 東照宮遥拝石 posted from フォト蔵
真ん中の薄く広い石は庭の奥にある東照宮への遥拝石になっていて、その左右に鶴亀の石組みがある、
工事の足場越しというのは残念だった。
ただ入り口にあった門が明智門といっていわれ等、大変興味深かった。
いわれは、天正10年に明智光秀が母の菩提のため大徳寺に建設したものを明治元年にここに移した、
とのこと、そうなると、ここに今の豊国神社にある伏見城の遺稿の唐門があったのかも知れない、
確かにここにあると納得いく、きらびやかさなのでそうだろうと思う。
金地院 明智門
金地院 明智門 posted from フォト蔵
拝観料金400円であったがさらに料金を支払うと寺宝の等伯の絵などが見せて頂けるようだった、
家康のためのへりくだり等、色々書いてみたが結局のところ、そういう世の中だったということで、
その点では当時の家康の力を、感じざるを得なかった。
そして三門だけでもと思い南禅寺方面へ


明智門での調べもの
天正10年に大徳寺に母の菩提のため、黄金を寄進して、建てた門とあるが、
天正7年に八方城攻めの際、母親と引き換えに、預かった人質を信長が斬ってしまい、
光秀の母も斬られてしまう、そして天正10年になって、
5月27日に愛宕神社に入り、6月2日の未明なので、今日の明け方、本能寺の変
起こし信長が自害、そう考えるとこの門を作った時には信長を討つつもりであったのか
など考えると非常に興味深い、ちょうど今週放映された、大河ドラマの時代あたりの頃
に出来たのかもしれない。

そして明治元年大徳寺から移築とあるが、そうするともともとここにあったのは、
現在豊国神社にある伏見城の遺稿といわれる国宝の唐門がここにあったのかもしれない、
確かに、あのきらびやかさを考えると、そうなのかもしれない。
そうすると、もともと、この明智門があった大徳寺の場所には今、何があるのか気になる。


(追)明智門はもともと聚楽第の遺稿といわれる唐門(日暮門)の場所にあり、
その唐門は勅使門の横にあり、興臨院、瑞峯院、大悲院の総門としてあったとのこと。