mittsuの日記

ダイアリーからブログへ移行しました。

下記から移動しました。

http://d.hatena.ne.jp/mittsu/


人間、やっぱり情でんなぁ 竹本住大夫

http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163901381

文楽の鬼、竹本住大夫。九〇歳&大夫引退記念


自分の仕事をもっともっと好きになれ!
文楽の至宝が熱く語る、日本人の「生きる力」


浄瑠璃はこころで語るもんです」
人形浄瑠璃文楽」の大夫として、
日本人の義理人情を語りつづけて六十八年――。
“語りの力”で人びとを泣き笑いさせてきた
住大夫師匠が、舞台を降りて初めて語る。
引退までの日々、先人たちの思い出、文楽と日本のこれから……


叱り、叱られ、命がけ!修業六十八年の「芸の真髄」とは
・若いうちは裕福になったらあきまへん
・成っても成らんでも、一生賭けるから修業です
・「途中でやめたら、人に笑われる」と思うてました
・テープやビデオは、悪いとこを叱ってくれまへん
・弟子が可愛くない師匠はこの世に一人もいてまへん
・死ぬまで稽古、死んでも稽古せなあきまへんなぁ


【目次】
第一章 春のなごりに 〜引退まで
第二章 師匠、先輩、弟子 〜修業とリハビリの日々
第三章 貧乏には勝たなあかん 〜三和会の長い旅
第四章 デンデンに行こう 〜私が育った戦前の大阪
第五章 文楽道場に生きる 〜教えること・教わること
第六章 そして文楽はつづく
ええ星の下に生まれましたなぁ 〜あとがきにかえて
担当編集者より 2014年5月、人形浄瑠璃文楽」の大夫として史上最高齢の89歳で引退した竹本住大夫さん。日本の義理人情を語り続けた68年の修業は、叱り、叱られ、まさに命がけ! 大学出で入門が遅く、大夫としては悪声。「死ぬまで稽古、死んでも稽古」の精神で人間国宝になられました。戦後、文楽が二派に分裂した苦闘の日々、橋下大阪市長との補助金問題、脳梗塞からのリハビリ――舞台をおりて初めて語る秘話満載。滋味深い芸談とともに、「自分の仕事をもっともっと好きになれ」という日本人へのメッセージでもあります。

舞台を降りられてもまだまだ活躍していただかなくてはならない。
是非見てみたいと思う。

文楽の人間国宝・七世竹本住大夫が引退 68年の大夫人生に幕

http://news.livedoor.com/article/detail/8870830/

 文楽人間国宝・七世竹本住大夫の引退公演(東京・千代田区国立劇場)が5月26日、千穐楽を迎え、住大夫は1946年4月に入門して以来、68年間の大夫人生に幕を引いた。

 4月の大阪・文楽劇場大阪市中央区)での「引退公演」に続き、東京公演も日々、満員。20日には、住大夫の最後の語りを聴くため、天皇陛下国立劇場を訪れ、観劇後には皇后さまも一緒に歓談されたという。

 千穐楽。満員の観客から、掛け声と大きな拍手を贈られ、最後の舞台を終えた住大夫。
 舞台上での最後のあいさつでは、「4月の大阪に続き、この5月公演も初日からこのように賑々しく、一同、感謝の思いでいっぱいです。一昨年に脳梗塞で倒れたあと、やはり後遺症があり、口さばきの悪さや、腹から声が出なくなり、お客様に申し訳ない、もう恥かきたくない、しんぼうたまらんようになって、2月に引退を決めました。私事で申し訳ないが、68年、大夫を務められたこと、ありがたく思います。亡き先輩方が不器用な自分を厳しく、親切に指導してくれたおかげやと思っております。ええご縁をいただいた、運のええ男や思います。いまは喜びと感謝と敬いの心です」と感慨深げ。
 その後、同じく人間国宝人形遣い、簑助から花束を受け取り、「長く苦楽をともにしてきたから感無量です」と、涙ながらに手を握りあった。

 舞台人生の「集大成」。締めくくりに住大夫が語った演目は「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)・沓掛村(くつかけむら)の段」。実は、養父の六世住大夫が引退の際に語ったのもこの狂言だった。

 お家追放となった主人の子を武家の子として立派に育てようとしている馬方。武士の子に生まれながら、そんな思いをよそに馬追いになりたいと言う子供。馬方である息子の身を案じてやまない母。
 89歳の住大夫が、病弱な婆(乳母)、忠義心の厚い馬方、そして、むじゃきな五つの幼子までを、ときに激しく、ときにやわらかに、そして悲しく、情をこめ演じる。「情のある語り」が身上の、住大夫らしい心を打つ名演だった。

 50年来、住大夫の語りを聴いてきた山川静夫氏は、「義太夫は『情』を語りこむことが一番大切。人間性が大きく作用します。『情』は、年月をかけてこそ到達できる人間の味。“住大夫三役”という、『合邦辻』の合邦、『沼津』の平作、『引窓』の南与兵衛、婆など、稽古に稽古を重ね、日々研究してきたからこその、円熟の芸でした。潔い引退にも人間性を感じました」と、感謝の思いと言葉を添えた。

「やっぱり、きょうは、さみしいて……次の公演にも出るような気して」
 最後に、思わず本音をのぞかせた住大夫。それでも「きょうで浄瑠璃はきっぱり縁切ります。弟子の指導にあたります」と、自分に言い聞かせるように続けた。
 
 今後は、弟子の指導や後継者の育成などにあたるという。
 文楽への熱い思いや厳しさは、もちろんこれまでと変わらない。
「若いもんはかっこつけず、もっともっと文楽浄瑠璃と向き合い、稽古せなあきません。みなさん、これからも文楽に叱咤激励、ご指導ご鞭撻をお願いいたします」
 多くの文楽関係者やファンに見送られ劇場を去るときにも、深々と頭を下げた。

竹本住大夫(たけもとすみたゆう)
1924年10月28日大阪市生まれ。89歳、現役最高齢の大夫。住大夫としては七世。父は六世竹本住大夫。1946年、二代目豊竹古靱太夫(のちの豊竹山城少掾)に入門し、豊竹古住太夫を名乗る。1985年、七代目を襲名。1989年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定、日本芸術院会員、文化功労者。2012年夏に脳梗塞(のうこうそく)で倒れ、2013年の1月に復帰したが、 「今までやれていたことがやれなくなった」と、2014年2月28日に引退を発表。5月の東京公演で68年の舞台人生に幕。

6月のあぜくら会の会報も、お名前を探すこともなくなってしまった、大変残念
舞台は引退しても後ろに入ることもなく、メディアにはまだまだ出ていただいて、
文楽の顔として活躍して頂きたい。


5月の公演の解説書もお送り頂き、幸運にも頂き、
見せて頂くと、住大夫さんの記念の写真集のようなものもある。
350年の歴史のうち、90年間過ごされた。
よく聞くが昔のだれだれの方が良かった、だれだれの方が上手だなど比べるのはナンセンスだ。
周りの状況、その時代の雰囲気に合ったものが、その時代の価値観になってくる、
経済成長に伴い、さまざま満たされ嗜好も多種多様な時代であったから、
越路大夫師の彫の深いコントラストのある語りが、心に大きく印象を与えることとなったのだろうし、
今のこの殺伐とした世知辛い、平成の時代であるからこそ、
住大夫師の慈愛のある深い情の響きと厳しい稽古、長い経験から得られる技術を伴った
語りが聞く者の心に大きく響くのだと思う。
住大夫さんのCDを販売していた和楽舎さんもどうも最近は活動されていないようで、
CDは流通在庫のみであると思われる。今、手に入れておかないと後々後悔することと
なるかもしれない。
個人的には沓掛村の段の前に恋女房染分手綱という物語自体全く分からないもので、
この機会に少し調べてみたい。

(評・舞台)国立劇場「文楽五月公演」 住大夫の花道、温かな余韻

http://www.asahi.com/articles/DA3S11149914.html

2014年5月22日16時30分

 文楽界を牽引(けんいん)し、浄瑠璃の情を追い求め続けた竹本住大夫。「文楽五月公演」昼の部で、68年の芸道をしめくくる引退狂言「沓掛村」を語っている。

 主従を巻き込む運命に翻弄(ほんろう)される心のひだを、きめこまやかにすくい取る。先代の亡父も最後に語った難曲だ。

 病を経た住大夫の声は一段としわがれ、込める力も以前通りとはいかない。だが長年かけて極めた息や共鳴で、自在に操る豊かな音(おん)は、端役にいたるまで目に浮かぶほどくっきりと、人物の像と心を描き出す。

 老母のため息と涙、息子の逡巡(しゅんじゅん)と激情。揺れ動く思いへの共感は、その人物が歩む人生の厚みを背後に感じられてこそだろう。詞と詞、節と節をつなぐ間は、語る大夫の人生観や人間観をも映し出す。住大夫の語りには性善を思う光明が宿り、切ない物語も、醸す余韻は温かい。

 幼い与之助を戦後の苦楽を共にした簑助が遣う。住大夫の渋いが童心宿る声と、絶妙に愛らしい人形の動きが溶け合い、幼子の体温があたたかく息づく。文雀の老母と与之助の慈愛あふれる語らい、大夫の変化も呼吸も知り抜いて応える錦糸の三味線。文楽の三位一体を雄弁に示し得た花道なればこそ、わき上がる万雷の拍手と思う。

 前は文字久大夫・藤蔵。続く坂の下の段も上演。他に「卅三(さんじゅうさん)間堂棟(むなぎの)由来」「増補忠臣蔵」。

 夜「女殺油地獄」油店の段は咲大夫・燕三。じわり重なる不吉な予兆、不出来な子を思う親の愛。丁寧に積み上げた情景と心情の残像が、最悪の選択へと突き進む十代の暴走を際だたせる。与兵衛は勘十郎。髪を乱し和生のお吉を追う姿に狂気が宿り、つっとすべれば、ぬらり照り返す油が見えるよう。

 「鳴響(なりひびく)安宅新関」は弁慶を英大夫が語り、玉女が遣う。気迫と爽快感に満ちた追い出しだ。(西本ゆか)

 26日まで、国立劇場小劇場。

なんとも素晴らしい舞台を想像できる。

次の時代の
三味線は清治師、人形は勘十郎師、玉女師、はたして大夫は、、

こういう状況になってみると、、

その時はそれも致し方なしとも思ったが、
やはり橋下問題が大変悔やまれる。


今一度振り返ってみたいが、
大変素晴らしく分かりやすい記事、文章がある。


橋下市長の言い分
http://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/page/0000174237.html

それに対する
SignorTakiさんの記事その1
http://anond.hatelabo.jp/20120629231236

SignorTakiさんの記事その2
http://anond.hatelabo.jp/20120728194025


SignorTakiさんの記事が素晴らしい
今悔やまれるというのは、住大夫さんに芸以外の心労で、
その芸歴が短くなってしまったと言うところで、
文楽、その周辺には問題が無いわけではないと思う。
故にその時は致し方なし、とも思ったが、やはり結果大変残念でならない。



今一度良く考えて思うところは、個人的に一番の問題だと思うのは
まずトップを始め地元の無関心さに尽きる。


橋下さんが観光資源として、こだわるなら、
文楽とそれにまつわるゆかりの地以外になにか大阪特有の観光資源があるだろうか、
あべのハルカスを作って日本一高いビルだ、、という東京の物まね、争い、での
観光資源はそのうち飽きられ、本場東京に必ず負ける時が来る。
大阪オンリーワンの観光資源とは何か、、と考えると文楽の持つ意味合いは
大変大きい。
新たな若い文楽ファンが出ないのはなぜか、文楽自体というよりも、
行政としての大阪側の問題ではないだろうか、


伝統的に派手で新しい刺激を求めているのは、
道頓堀のグリコの看板然り、観覧車しかり、
そして日本一と言われるあべのハルカス然りでそれ自体否定はしないが、


大阪も歴史があり古い街と言ってもいいだろうし、
その歴史ある一つの町として成熟する時期に来ているのではないかと思う。
教育としての大阪の街の歴史、伝統などをもっと若い層に伝えるということを
文楽に限らず大阪側が伝えていかなくてはいけない。
その点は大阪側も認識はしているようだ。


東京は大阪よりは首都というだけで新しい街だろうと思うが、
成熟度としてはどうだろうか、文楽の良さは簡単に一瞥で理解できるものではなく、
逆に見る者の感受性を問われる芸術だと思っているが、
東京での盛況ぶりは、どうだろうか、地元大阪の方にも考えてもらいたい。
住大夫さんも文楽は大阪で流行らなくてはいけないと言われている。


しかしこのままで行くと歌舞伎が江戸に進出して、本拠地になったように、
生き残りの為にも文楽も関東を本拠に進出するようになったりするのではないだろうか、
もう一つ大阪特有の吉本興行は、東京を主戦場ように見える。


あまり文楽に関心の無い人でも、その魅力を伝えることが出来る、
本当の名人の中の名人の住大夫師が現役引退されるというのは、
個人的にも残念であり、文楽全体から見ても大きな損失だ。

文楽語り68年、住大夫さん大阪公演の千秋楽

http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20140427-OYO1T50028.html

人形浄瑠璃文楽太夫義太夫語り)の人間国宝竹本住大夫すみたゆうさん(89)の大阪での引退公演が27日、国立文楽劇場大阪市中央区)で千秋楽を迎えた。


 「菅原伝授手習鑑すがわらでんじゅてならいかがみ 桜丸切腹の段」を語り終えた住大夫さんは、あいさつで、「私、ええ星の下に生まれましたわ」と68年の太夫人生を振り返った。同じく人間国宝吉田簑助さん(80)が遣う人形の手を握り、感極まった様子で「ありがとう、おおきに、おおきに」と繰り返した。


稽古の鬼、涙の花道…「文楽お引き立てを」


 「稽古の鬼」と言われた当代一の文楽太夫が涙を浮かべていた。27日、国立文楽劇場で地元・大阪の引退公演を終えた竹本住大夫すみたゆうさん(89)は、あいさつの中で「感謝」の言葉を7度、繰り返し、深々と頭を下げた。


 主要な登場人物の一人、桜丸が、菅丞相かんしょうじょう(菅原道真)への忠義から切腹する場面を、約40分間にわたって語りきった住大夫さんは、ほどなく、大きな拍手に迎えられて舞台に再登場。68年の太夫人生を振り返り、「不器用な、鈍な私に、先輩方が厳しく、親切なご指導をしていただきました。感謝と敬いに尽きます」と、かみしめるように語った。


 そして、「私が去りました後も、大阪で生まれ育った文楽を、末永くお引き立て、お願い申し上げます」と呼びかけた。


 10年来の文楽ファンで、引退公演も2回目の観劇という奈良市の無職菅原邦雄さん(65)は「前に見たときよりも意気込みが伝わり、声も太かった。大阪での最後だと思うと、涙が止まらなかった」と話していた。


 住大夫さんは大阪市生まれ。1946年に初舞台を踏み、89年に人間国宝に認定された。一昨年、脳梗塞を患ったが、リハビリを経て半年後に復帰した。残る舞台は、東京・国立劇場での引退公演(5月10日〜26日)のみとなった。


 国立文楽劇場によると、今回の4月文楽公演の有料入場者数は2万9973人(速報値)で、昼夜2部公演としては84年の開場以来最多を記録した。


「いい仕事、最後まで」…芸能人ら惜しむ


 引退公演を鑑賞した関西の文化、芸能人らは、至芸の見納めを惜しみ、長年の労をねぎらった。


 能楽師の大槻文蔵さんは「つくづく『風格』という言葉が住大夫さんのためにあると感じました。いい仕事を最後までされて良かったなあと、同じ舞台人として一種の安堵あんど感すら抱きました。惜しいなとは思いますが、潔い引退はご本人の美学」と気遣った。


 自らも義太夫節を習っているという落語家の桂南光さんは「脳梗塞から復帰された舞台では涙が出ましたが、今回も見事でした。掛け合いの間合いと言い、素晴らしかった。ここまで文楽を引っ張っていただいて、ありがとうございましたと言いたい」と感謝する。


 作家の有栖川有栖さんは「太夫は、舞台を支配する膨大なエネルギーが必要です。それを89歳までやれたのが驚異的なこと。お疲れと思いますが、ここで一服なさって、培われた芸を後進に伝えていただけたら、文楽好きとしては二重の幸せ」と話していた。

たっての希望で、最後に地元大阪の方に住大夫師匠がご挨拶をされたい、とのことだった、
感謝、敬い、そして喜びと言われていたと思う。
蓑助師の桜丸が花束贈呈の後、振り返って手を振っていた。
幾分ユーモラスに映り、文楽らしく湿っぽくならず、感動的であり、感極まるなかにも、
明るさのあった、ご挨拶になった。


5月で現役大夫の道は終わられるとしても、後進の指導はもちろん、文楽の顔であることは疑いない
わけでメディア等でも無理のない範囲でまだまだ活躍して頂きたい。


芸とはなにか、文楽でいうところの「情」を伝えるというのはどういうことなのか、
を体現されていた。
他の分野でも、住大夫師のような本当のプロフェッショナルは居られるだろうか、、