mittsuの日記

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祇園祭巡航復活について気になる記事

“大船鉾”唐櫃で巡行復帰 142年ぶり、今夏の祇園祭
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20120313000017
幕末の大火で失った鉾を製作中の祇園祭・大船鉾(京都市下京区新町通四条下ル)が、今年の山鉾巡行(7月17日)に「唐櫃(からびつ)巡行」の形で参加することが12日、分かった。神面を木製の唐櫃に納め、担いで都大路を進む。1870(明治3)年に唐櫃巡行して以来、142年ぶりの復帰となる。大火で焼失した山鉾の多くが、唐櫃巡行の数年後に山鉾を再建しており、33基目の鉾の完全復興へ機運が高まる。

 大船鉾は、かつて後祭(あとまつり)の最後尾を進んだ。1864(元治元)年の禁門の変(蛤御門(はまぐりごもん)の変)の大火で鉾が焼失したが、神面と懸装品の一部は残った。

 計画では、明治期に使った唐櫃(縦41センチ、横76センチ、奥行き46センチ)に神面を納め、棒を渡して担ぎ、「大船鉾」ののぼりを先頭に町衆が裃(かみしも)姿で歩く。囃子(はやし)方を伴い、他の山鉾とともに進む。

■「完全復興」に弾み

 四条町大船鉾保存会は昨年、大船鉾の再建に取りかかった。製作途上の鉾を京都ヨドバシビル(下京区)に展示し、資金協力を募っている。焼失から150年の節目となる2014年の完成と完全復帰を目指している。

 松居米三理事長(79)は「また一歩、前進した気持ちだ。巡行参加は明治3年以来の町内の希望。先人たちにもしっかりと報告したい」と話している。

 焼失後の大船鉾は、明治初期に唐櫃巡行し、鉾の再建を試みたが、その前年に町内の番組小学校の建設、運営費用を負担した。76年に学校が移転してさらに費用がかさみ、77年に町内の財産である町家(ちょういえ)を売却。資金が回らず、休み鉾となっていた。

<唐櫃巡行>

 巡行に出られない山鉾に代わり、御神体や鉾頭を唐櫃に入れて参加する巡行の形の一つ。幕末から明治初期に掛けて、南北の観音山や鈴鹿山など、多くの山鉾が経験した。近年事例はない。

これは素晴らしい。BSフジの中継だと終わりのほうはあまり良く見れないので、早めに出てもらえれば全国でその雄姿が見れると思う。