mittsuの日記

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中村雀右衛門師追悼に関する気になる記事

中村雀右衛門さん 演劇評論家・渡辺保 苦労が結実した「女の表現」http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120228/ent12022807420004-n2.htm
中村雀右衛門さんは人生も芸も、波瀾(はらん)万丈だった。27歳で女形に転向し、苦労して作り上げた芸は、造形的美しさのみならず、色気があって近代的だった。

 例えば「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」で腰元濡衣(ぬれぎぬ)が、愛する恋人の袖に頬ずりする場面がある。雀右衛門さんの濡衣は、まるで男の肌に触れているかのような情愛にあふれていた。「型」ではなく、得も言われぬ濃厚さで、実感があった。古典を高度化し、現代に伝える芸だった。

 当たり役は多いが、特に時代物が素晴らしかった。三姫と呼ばれる「本朝廿四孝」の八重垣姫、「鎌倉三代記」の時姫、「金閣寺」の雪姫。「義経千本桜」の典侍局(すけのつぼね)、「毛谷村」のお園、「葛の葉」子別れ…。

 雀右衛門さんに、八重垣姫を演じる難しさを聞いたことがある。すると「(許嫁(いいなずけ)の武田)勝頼を人さし指でさす、この指先が難しい」と答えた。女形のスタートが遅かったハンディを背負い、義父七代目松本幸四郎に「60歳にならないとものにならない」と言われた人が、苦労を漏らした。だが指先まで八重垣姫になろうとしたからこそ、スケールの大きい女形として大成した。

若い頃は“女優の真似(まね)”で生々しさがあったが、こうして勉強を重ね、ギラギラした部分を洗い流し、例えば「鷺娘」では舞台を歩くだけで身体全体からオーラを発する、女の表現を見せた。

 素顔は現代的で、開けた人だった。30年近く前、突然、わが家を訪ねてきたことがある。私の書いた「娘道成寺」について「勉強になったので教えてほしい」と言ってきた。後に私に本の執筆を依頼してきた際も、「客席から見た私を書いてほしい」と客観的記述を求めてきた。自著(「私事」)で、81歳で演じた「熊谷(くまがい)陣屋」の相模で一歩踏み出したとき、「女形の芸はこれだ」と感じたと記しているが、苦労が芸に結実し、客席にどう表現するかが分かっている人だった。(談)

中村雀右衛門さんは23日、肺炎のため死去。91歳。

生で雀右衛門さんの舞台を見れなかったのは痛恨の極み、藤十郎襲名時の夕霧も80歳を越えてでの舞台であったと思うが、
なんとも本当のその人間が目の前に現れているのだろう、、と思うほどであったと思う。
歌舞伎座が無くなり、芝翫師も亡くなってしまい、今度は雀右衛門師が亡くなってしまうとは歌舞伎の一つの時代が終わってしまったように思う。
とにかく残念