mittsuの日記

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羅生門の発見出来ずについて気になる記事

羅城門いずこ 遺構出ず、研究者「?」南区で発掘調査
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P20100327000083&genre=M2&area=K00
平安京を代表する建物の一つ「羅城門」の発掘調査が2月末から33年ぶりに行われ、初の遺構発見に期待が高まったが、空振りに終わった。平安京の研究が進み、位置はある程度特定できているだけに、発掘開始から50年が経っても見つからない「幻の門」に、研究者らは「なぜ」と首をかしげている。

 京都市埋蔵文化財研究所が、羅城門跡(京都市南区唐橋羅城門町、四ツ塚町)で70平方メートルを調査。1・7メートルほど掘り下げたが江戸時代の石敷きが見つかっただけだった。過去の市の調査記録などで「遺構は羅城門児童公園の南東では」と推測されていた。今回の調査地点はその付近に当たっていただけに、市埋文研の担当者は「今度こそ、と期待したのだが」と残念がる。

 羅城門跡は1960年から77年にかけて計5回、古代学協会(京都市中京区)や市が一帯を発掘したが門につながる遺構はなかった。周辺では、羅城門の西にあった西寺跡が見つかっており、平安時代と同じ場所にある東寺や朱雀大路の遺構とあわせると門の位置が推定できる。市文化財保護課は「ほかの遺跡の位置関係からみて、埋蔵文化財包蔵地としてはこの場所でおかしくない」とする。

 羅城門は980(天元3)年に倒壊して以来、礎石が持ち去られた記録などもあり、人為的に消滅させられたとも考えられる。また一帯は遺跡内を川が流れるなど昭和初期まで低湿地で、過去の調査記録などでは「川のはんらんなどで徹底して破壊されているのでは」との見方もある。

 こうした説に対し、平安京に詳しい京都産業大の井上満郎教授(日本古代史)は「基礎部分の根石まで取り払う理由はないはずで、はんらんなどがあっても基礎の痕跡は残るはず。たまたま当たらなかったのだろうが」と首をひねる。

 遺跡内は住宅が多いため発掘調査の機会は限られるが、井上教授は「羅城門は古代の都の姿を再現する上で大事な場所。今後、調査の機会があれば見つかってほしい」と願っている。

 ■羅城門 平安京の中央を南北に走る朱雀大路の南端に建ち、二層二階建で、間口は約35メートル(諸説あり)と推定される。外交使節の送迎や儀式の場にもなったとされ、荒廃後は「今昔物語集」をはじめ謡曲などのテーマにもなった。小説や映画のタイトルで知られる「羅生門」は後世の当て字。また「羅城門遺址」の石碑がある羅城門児童公園は、これまでの調査で遺跡でないことが分かっている。