mittsuの日記

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仁丹の「町名表示板」激減について気になる記事

仁丹の「町名表示板」、保存を市内中心部 15年で4割減
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P20100220000073&genre=K1&area=K00
 大礼服にちょびひげの紳士でおなじみの「仁丹マーク」とともに、通り名や町名が記された表示板が、京都市内からも姿を消しつつある。医薬品会社「森下仁丹」(大阪市中央区)が1910(明治43)年に全国で設置を始めたが、多くは戦災で失われた。100年を経た今も約800枚が残る京都市は全国でも珍しく、愛好家は保存を訴えている。

 仁丹の町名表示板は、大半が横約15センチ、縦約1メートルのホーロー製。初期の物とみられる木製もある。京都市の中心部に多く、四つ角の民家の軒下や2階部分に掲げられている。

 森下仁丹によると、明治後期には町名表示板がなく、郵便配達人が困っているという話を聞いた当時の社長が、宣伝効果も狙って京都や大阪、東京、名古屋で設置を始めた。現在は、大阪市大津市奈良市でもわずかに確認されている。

 区の表記に旧字の「區」を使い、さびた板の風情に、過ぎ去った時代への郷愁を感じる人も多い。仁丹町名表示板についての著書「京都・もう一つの町名史」がある中京区の元高校教諭水谷憲司さん(75)は、出版時の1995年に1200枚を確認した。「高齢化で町家が消え、表示板の減少速度が増しているようだ。これも時代の流れかなと感じる」と感慨深げだ。

 上京区の川崎渉三さん(65)は定年退職を機に、3年前から街中を歩いて調べ、769枚を確認した。「道案内をする孤独な姿が、けなげで美しい」。インターネット上で情報交換した愛好家仲間には800枚を確認した人もいるが、それでも15年で4割も減った計算になる。「今や京都の文化財。(設置家屋の建て替え時には)隣家に付け替えるなどして残してほしい」と理解を求める。

 中には、盗まれたとみられる物もある。約600枚を確認した大津市の会社員高島孝佳さん(50)は「設置してあった家の住人も知らない間に、ネットのオークションで売りに出ている例を数件見かけた。非常に残念。無粋な行為はやめてほしい」と訴える。

これは、京都の街の雰囲気を作る影の功労者と言うのは間違いないわけで、難しいと思うがなんとか残して欲しいし、デザイン的に合わなく外さざるを得ないとしても、
処分と言うことだけは回避して保存して欲しい。