mittsuの日記

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後水尾天皇の仏像発見かも、について気になる記事

後水尾天皇 形見の仏像か 東山・法住寺 修理中に発見
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009121300039&genre=M2&area=K00
京都市東山区三十三間堂廻り町の法住寺で、仏像を収めた厨子(ずし)に「後水尾法皇の御念持仏」との由来が記されていたことが12日までに分かった。江戸初期、幕府の朝廷への干渉と対抗する一方、宮廷文化の復興に力を尽くした後水尾天皇(1596〜1680)が私的に拝んでいた仏が、死後形見として皇子に与えられ、同寺に持ち込まれた可能性があるという。

 仏像は高さ50センチの如来像で、阿弥陀堂の須弥壇(しゅみだん)西端付近の厨子に収められ、安置されていた。学術的に重要とみられておらず、十分な調査が行われていなかった。書院の修理に合わせ、新しく完成する仏間の本尊にするため、併せて修理していた。

 文字は仏像の背後にあり、金箔(きんぱく)を張った厨子の内面に墨か漆のようなもので記され、赤外線を当てると「此釋尊者後水尾法皇御念持佛也(この釈尊は後水尾法皇の御念持仏なり)」の文が浮かび上がった。天皇の第十皇子の堯恕(ぎょうじょ)法親王が形見としてもらった、とのいきさつが記されていた。

 同様の記録は、天皇が晩年を過ごし、堯恕法親王が門跡を務めた妙法院にもあり、持仏堂の釈迦(しゃか)像を堯恕が形見として拝領したとしている。法住寺は妙法院の子院で、堯恕は、同寺に足しげく出入りしていたという。

 専門家によると、仏像は、とても丁寧に造られた美作で、鎌倉時代の様式を取り入れた江戸初期の仏像の可能性があるという。また厨子の飾り金具に、雨露を模した文様や点線で描いた唐草文様など17世紀前半の特徴がみられ、天皇の時代と重なるという。

 赤松隆成住職(62)は「良い仏像とは聞いていたが、後水尾天皇ゆかりと知り、大変驚いた。発見に立ち会えたことに不思議な縁を感じる。きれいな仏さまになったので、多くの人に見てもらい、今後も大切にしたい」と話している。

 仏像は書院・庫裏の落慶式に合わせ、20日から28日まで一般公開する。拝観は午前9時〜午後5時。拝観料は500円。

 ・後水尾天皇法皇) 二代将軍徳川秀忠の娘和子を中宮(東福門院)に迎え、江戸時代の朝幕関係の確立に中心的な役割を果たした。「禁中並びに公家諸法度」の制定など幕府の朝廷への干渉に憤り、幕府に諮らず譲位するなど対抗した。一方深く文芸を好み、修学院離宮を造営するなど、寛永文化と呼ばれる文芸復興を演出した。

 ■江戸初期の作か

 京都大大学院文学研究科の根立研介教授(日本彫刻史)の話 端正で穏やかな顔立ちだ。鎌倉時代風に見えるが、少し形式化しているところがある。江戸時代初期の七条仏師には鎌倉時代様式を巧みに取り入れる仏師がおり、この仏像はそうした一例に該当する可能性がある。ただ仏像そのものに由緒書が残されていないので、決定的な証拠ではなく、さらに調査が必要。

いろいろ素晴らしい発見が続いているもよう。