mittsuの日記

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銀閣寺、観音殿、創建当時から移動していない可能性についての気になる記事

銀閣創建時? 整地層と石列 修理発掘調査で発見
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009061800036&genre=J1&area=K00
京都市左京区慈照寺(銀閣寺)の観音殿(銀閣、国宝)の修理に伴う発掘調査で、創建時の可能性のある室町時代ごろの整地層と、銀閣を囲むように並ぶ石列が17日までに見つかった。銀閣寺は、足利義政が隠居所として1482年から造営した東山殿に由来するが、江戸初期に建物の移動を含む大改修が行われたとされ、創建時の建物配置は大きな謎だった。今回の発見で、銀閣が創建時から移動していない可能性が出てきた。

 ■移動説否定の可能性

 府埋蔵文化財調査研究センター(向日市)が調査した。特別史跡特別名勝のため、銀閣の下約40平方メートルを、深さ40センチまでに限定して調査した。

 見つかった整地層は大正期の解体修理に伴う盛り土の直下にあり、創建年代と一致する15世紀末までの土器が出土した。限定的な調査であるうえ、江戸初期の改修時に古い土器が混入した可能性もあるため、今後さらに詳細な土器分析を行い、年代を絞り込む。

 石列は、この整地層の中で見つかり、人頭大の石を平らな面をそろえて直線的に並べた場所や、こぶし大の石を乱雑に土に混入した場所などがあった。建物の北と西、南で確認され(東は未調査)、銀閣の外周にほぼ沿っており、地盤強化に使われた可能性がある。

 同センター調査第2課の小池寛課長補佐は「まだ確実なことが言える段階ではないが、石列が銀閣創建に関係するとすれば、銀閣は創建時からほとんど動いていない可能性が高い」と話している。

 <銀閣・東求堂移動説> 現在の銀閣寺で創建時から残る建物は、国宝の銀閣と東求堂のみ。東求堂は1965年の解体修理で大部分の柱の下に根継ぎや土台があったことや、江戸時代の文献に移動の伝承が記されていることから移動説が有力。銀閣も、隣接の池が江戸時代の形式であることや、周辺の発掘調査で1メートル近い江戸時代の盛り土が見つかっていることから、移動の可能性が指摘されていた。

東求堂の待合から銀閣を眺めていた、、ということも本当にあったのかも、