mittsuの日記

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http://d.hatena.ne.jp/mittsu/


5月東京文楽公演プレオーダー翌週から受付開始

http://eplus.jp/sys/T1U14P0010222P006001P002001980P0030133
配役
http://www.ntj.jac.go.jp/assets/images/H24-5hontirasi-ura.jpg
5月の第2部は、特別会計でも行かねばならなそう、阿古屋は3段目の口なもので切場語りはいらない、
しかし三味線は難曲中の難曲で三味線の腕の見せ所になる、寛治師の往年の華麗な三味線に期待、、


酒屋の段はもちろん切で嶋大夫師ではあるが、3人リレーとなり切場語りが一人で語りきれないのか、なにか演出なのか、、


そして、住大夫師は傾城反魂香の切に、、酒屋、阿古屋で聞きたいというのは、今は贅沢なことなのか、、


人形では、文雀師は反魂香での、おとく、そして酒屋のお園はやはり蓑助師、そして阿古屋が勘十郎師となる。


やはり前半に行ってみたい。

宇治の田楽祭りについて気になる記事

「宇治田楽」復活願い、10月にまつり 出演者募る
http://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20120323000047
宇治発祥と伝わる芸能「田楽」の復活をテーマに10月20日に京都府宇治市内で開かれるプロジェクト「宇治田楽まつり」の出演者を、実行委員会が募っている。

 宇治田楽は、宇治の白川を拠点に演じられていたと伝わる平安時代の芸能「田楽」を復活させる取り組み。伝統的要素を取り入れた芸能を創作し、2003年からまつりを開いている。昨年、獅子頭を制作し、今年は本格的な獅子舞の踊りも取り入れる予定。

 踊る人、太鼓、篠笛(しのぶえ)、衣装を着て行列に参加する人を募集する。対象は小学生から大人までで、7月以降の日曜日の午後を中心に行われる十数回の練習に参加できる人。4月22日午後1時から、宇治市折居台の市中央公民館で宇治田楽を体験できる公開練習会がある。

 定員は100人程度、運営協力費3000円が必要。出演希望者は、5月18日までにはがきなどで申し込む。応募の詳細は、同実行委員会TEL0774(22)5557へ。

能発祥以前に絶大な人気があり、親しみやすい田楽、是非芸能の一ジャンルを確立して欲しい。

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京都新聞の記事にtwitterのボタンが付いていたのに気づく、しかし全く本文等は無いので、やはりちょっと使えそうにない。残念。

文楽の新作、三谷版について気になる記事

文楽の危機、三谷流で救う 新作「其礼成心中」8月上演
http://www.asahi.com/culture/update/0207/TKY201202060699.html
 人気劇作家の三谷幸喜さんが今夏、初めて人形浄瑠璃文楽を手がける。本拠地・大阪の橋下徹市長が文楽協会への補助金見直しに動き、大夫(たゆう)や三味線、人形遣いらが「文楽300年の危機」と不安を募らせる中、一肌脱ぐ格好に。「僕が何とかしましょう」と胸をたたく。

 初めて文楽を見たのは10年ほど前。「人間の役者は死ぬ場面で本当に死にはしないが、文楽人形遣いの手が離れた瞬間、魂が抜け亡きがらとなる。怖い、すごいと感じ、独特の世界観に魅せられた。いつか手がけたいと思った」

 2009年にNHK人形劇「新・三銃士」の脚本を担当し、その頃から人形遣いの吉田一輔さんらと交流。「ぜひ新作を」「書きましょう」と話が進んだ。

人形のいいところは簡単に言うと、現実の人間では、表現できないところを表現できるということ。
文楽太夫の素晴らしいところはこちらも簡単に言うと、書いてある文字を現実以上に言葉だけで表現できること。
三味線を加えた三業のすごいところは、三つの調和でなく、ある意味お互いの戦いであって、それでお互いを高めて表現をしているということ。
そこを生かせないとどんな新作でも難しいのではないか、、、
杉本文楽のような大成功期待。

祇園祭巡航復活について気になる記事

“大船鉾”唐櫃で巡行復帰 142年ぶり、今夏の祇園祭
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20120313000017
幕末の大火で失った鉾を製作中の祇園祭・大船鉾(京都市下京区新町通四条下ル)が、今年の山鉾巡行(7月17日)に「唐櫃(からびつ)巡行」の形で参加することが12日、分かった。神面を木製の唐櫃に納め、担いで都大路を進む。1870(明治3)年に唐櫃巡行して以来、142年ぶりの復帰となる。大火で焼失した山鉾の多くが、唐櫃巡行の数年後に山鉾を再建しており、33基目の鉾の完全復興へ機運が高まる。

 大船鉾は、かつて後祭(あとまつり)の最後尾を進んだ。1864(元治元)年の禁門の変(蛤御門(はまぐりごもん)の変)の大火で鉾が焼失したが、神面と懸装品の一部は残った。

 計画では、明治期に使った唐櫃(縦41センチ、横76センチ、奥行き46センチ)に神面を納め、棒を渡して担ぎ、「大船鉾」ののぼりを先頭に町衆が裃(かみしも)姿で歩く。囃子(はやし)方を伴い、他の山鉾とともに進む。

■「完全復興」に弾み

 四条町大船鉾保存会は昨年、大船鉾の再建に取りかかった。製作途上の鉾を京都ヨドバシビル(下京区)に展示し、資金協力を募っている。焼失から150年の節目となる2014年の完成と完全復帰を目指している。

 松居米三理事長(79)は「また一歩、前進した気持ちだ。巡行参加は明治3年以来の町内の希望。先人たちにもしっかりと報告したい」と話している。

 焼失後の大船鉾は、明治初期に唐櫃巡行し、鉾の再建を試みたが、その前年に町内の番組小学校の建設、運営費用を負担した。76年に学校が移転してさらに費用がかさみ、77年に町内の財産である町家(ちょういえ)を売却。資金が回らず、休み鉾となっていた。

<唐櫃巡行>

 巡行に出られない山鉾に代わり、御神体や鉾頭を唐櫃に入れて参加する巡行の形の一つ。幕末から明治初期に掛けて、南北の観音山や鈴鹿山など、多くの山鉾が経験した。近年事例はない。

これは素晴らしい。BSフジの中継だと終わりのほうはあまり良く見れないので、早めに出てもらえれば全国でその雄姿が見れると思う。

昨年度の重要文化財指定について気になる記事(昨年メモしていた記事)

安祥寺の木造十一面観音立像など重文4件 文化審が答申
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20110318000165
重要文化財に新たに指定される木造千手観音立像 国の文化審議会(西原鈴子会長)は18日、近代美人画の第一人者上村松園日本画「母子」など美術工芸品43件を重要文化財に、美術工芸品と建造物計194件を登録有形文化財に指定するよう障泱リ義明文部科学相に答申した。「母子」は、すでに重文に指定されている「序の舞」と並ぶ松園の代表作。
 京都では安祥寺(京都市山科区)蔵の木造十一面観音立像など重文4件と登録有形文化財15件、滋賀では重文4件、登録有形文化財15件が盛り込まれた。
 木造十一面観音立像は、像高252センチ、カヤの一木造で、京都大の学術調査で衣紋などの作風や技法から奈良時代後期の仏像とみられることが分かった。同時代の木彫像としては国内最大級。安祥寺の創建(848年)よりも以前の仏像で、来歴は不明。額より上は後に造られたとみられるが、数少ない奈良時代彫刻として貴重という。調査に当たった根立研介京都大教授(日本彫刻史)は「補修の手が入り、見過ごされてきたものが評価された。奈良時代にさかのぼる大型木彫仏として注目される」と話す。

色々知らない素晴らしいものがあるもよう。妙光寺といえば風神雷神図としか浮かばないが、境内も歴史を感じることができるものらしい。
平成の復興として、風神雷神図を引き取ったらどうか、あるべきもがあるべきところにある素晴らしさが感じれると思う。
京都の辺境には、はるか昔の都の残光が多く残っているらしい、かくれざと的にいつか巡ってみたい。


メモ
建仁寺護国院(現開山塔)山門の宝陀閣は、もとは妙光寺山門で、明治20年(1887)に移築された。

新たな京都市指定文化財について気になる記事

文化財保護審答申 京都市の指定・登録文化財に6件
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120306/kyt12030602070003-n1.htm
 京都市文化財保護審議会(井上満郎会長)は、左京区の久多自治振興会が所有する「木製五輪塔」など6件を市文化財に指定・登録するよう、市教委に答申した。これにより市指定文化財は333件、登録文化財は143件となる。

 指定されるのは、木製五輪塔をはじめ、中京区で出土した「桃山茶陶」970点(美術工芸品)、右京区臨済宗建仁寺派妙光寺境内(史跡)、西京区五社神社境内域(文化財環境保全地区)の4件。

 木製五輪塔は針葉樹の一木造で高さ約30センチ。平治元(1159)年12月9日を表す墨書から、この時期に作られたとみられ、現存では最古の木製五輪塔とされる。X線撮影で内部に舎利らしきものがあることも判明しており、貴重性が評価された。

 一方、登録されるのは、文化6(1809)年に建築された五社神社本殿(西京区)、無形民俗文化財として建仁寺東山区)の茶会で行われる禅宗寺院の伝統的な喫茶儀礼「四頭茶礼(よつがしらされい)」の2件

後白河法皇の妻の住居について気になる記事

最勝光院の建物跡 東山、後白河法皇の妻の住居
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20120308000136
京都市埋蔵文化財研究所は8日、東山区の一橋小跡地で、平安時代後期に権勢を誇った後白河法皇の妻で平清盛の義理の妹にあたる建春門院(平滋子)の住居「最勝光院」の建物基礎部分の跡が見つかった、と発表した。大規模な土地の造成跡も確認され、平家をバックにした当時の院政の力の大きさをうかがわせる。

 最勝光院は、後白河法皇上皇のときに造営した「法住寺殿」内に1173(承安3)年に造られた。当時の池の西にあり、阿弥陀(あみだ)堂や御所を配置していたと考えられている。

 調査では、建設前の地盤を強化するためにこぶし大の石と粘土を交互に敷き詰め、突き固めた跡が4カ所見つかった。そのうち北東部では石を6段重ねて65センチもの厚さにしてあり、市埋文研は南御所跡とみている。また、調査地全域で、自然の傾斜を平らにするために厚さ60〜190センチの土を盛った跡が確認された。土の量は10トントラック300台分と推定される。

 これまで周辺で、造成や池跡が見つかっていたが建物に関連する遺構は初めてで、市埋文研は「建物配置などの研究を進める上で貴重な手がかりになる」としている。

 東山泉小・中の校舎新築に伴い、1月から約1500平方メートルを調査していた。10日午前10〜11時に現地説明会を行う。当日の問い合わせは現地事務所の携帯電話080(5325)5851。

なんともタイムリー。現地はどのあたりなのかちょっと分からない。